Last Update: 2012/03/18

林田力が野宿者強制排除抗議声明に賛同

住まいの貧困

ジャーナリスト講座

市民が求め創るマニフェストの会

脱原発

社会

光市母子殺害事件

女性天皇


住まいの貧困


林田力が野宿者強制排除抗議声明に賛同


『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者の林田力は、竪川河川敷公園野宿者有志、山谷争議団・反失実、山谷労働者福祉会館活動委員会の「江東区による竪川河川敷公園での野宿者強制排除に対する抗議声明」に賛同する。野宿者強制排除は人権侵害であり、住まいの貧困をもたらすものである。

特に声明文の「貧者を追い出して進む街の再開発に異議あり」に怒りを覚える。貧困や差別の解消ではなく、眼前の貧困や差別を目の前から消すことによって見せかけの経済的繁栄を謳歌しようとする。開発優先・金儲け優先の日本の歪みがまとめられている。

林田力は東急リバブル東急不動産から不利益事実を隠して東京都江東区の新築マンションをだまし売りされ、裁判で売買代金を取り戻した。この経験があるために二子玉川ライズなど東急グループの開発に苦しめられている住民と連帯してきた。その一つに東京都品川区の東急大井町線の高架下立ち退き問題がある(林田力「東急電鉄が大井町線高架下住民に立ち退きを迫る」)。

http://www.hayariki.net/tokyu/ohimachi.html

東急電鉄が長年居住及び営業してきた住民を十分な生活保障もなしに追い出そうとしている問題である。高架の耐震補強工事を理由とするが、東急電鉄は工事完了後に立ち退かせた賃借人を居住させることを約束していない。

結局のところ、高架下を富める者のために作り変えるものであり、貧者を追い出して洒落た施設を造り、地域を富める者のために作り変えようとする開発にほかならない。この問題意識から林田力は竪川河川敷公園野宿者有志に連帯と賛同を表明する。


江東区による竪川河川敷公園での野宿者強制排除に対する抗議声明【転載】


 江東区の竪川河川敷公園で、暴力により野宿者を追い出そうとする動きが進行しています。昨年末から江東区は公園内の15軒の小屋に対し行政代執行の手続きをはじめました。現在(2月6日)、対象地に一軒だけ残った高齢の仲間の小屋に代執行の令書が出され、代執行が目前に迫っています。行政代執行に強いられる形で公園の他の地域に移動した仲間の小屋(約15軒)に対し、区は1月27日に100人のガードマン、作業員を動員し、小屋の周囲を取り囲むフェンス設置を暴力をもって強行しました。これにともない、事前に何の説明もないまま、公園の3分の1が封鎖されるという事態にまでなっています。公園にフェンスで閉じ込められ、野宿の仲間は仕事にいくこともままならない状態が続いています。

 公園や河川敷などの公共空間の野宿の小屋は、失業や貧困などの社会の矛盾が凝縮して現れたものです。野宿の小屋は、それらの矛盾に対し貧者が作り出した抵抗であり、具体的な解決策でもあります。野宿を生み出す社会の問題に目を向けず、ただ小屋を排除することで公園を"正常化"しようとするのなら、それは何の解決も生まないどころか、おびただしい数の貧者から屋根を奪い、死に追いやることになるでしょう。私たちは、江東区の野宿者排除に反対し、以下のことを求めます。

【1.公園の封鎖を今すぐ解いてください】

1月27日以来、竪川河川敷公園の3分の1(約1kmにわたる範囲)が封鎖され、通行できない状態になっています。この封鎖により、野宿の仲間たちはフェンスで閉じ込められた中、仕事にいくこともままならず、出入りを制限されての暮らしを強いられています。竪川河川敷公園は、2.5kmにわたって伸びる公園であり、周囲に住む人々にとっての生活道路としての機能も果たしてきました。公園の封鎖により、多くの人々が不便を被っています。しかし、この封鎖には何の法的根拠もありません。にもかかわらず、責任部署である水辺と緑の課の荒木課長は「私の一存で封鎖を決めた」と開きなおっている始末です。区が公園を封鎖したのは、自らのなりふり構わぬ野宿者の強制排除を覆い隠し、また、追い出しに対して反対の声をあげている野宿者の存在を世間に知られないようにするためです。しかし、もはや手遅れ。問題の所在は誰の目にも明らかとなっています。区は、直ちに公園の封鎖を解かなくてはなりません。

【2.ガードマン、職員の暴力について区は謝罪を】

1月27日、竪川河川敷公園の1/3が封鎖され、フェンス設置が強行される際、区の職員とガードマンによってすさまじい暴力がふるわれました。区による一方的な封鎖に対し、説明を求め抗議する野宿者や支援者を、暴力的に排除。殴る蹴る引きずるなどの暴力行為が吹き荒れました。特に、トスネットという会社のガードマンの暴力は突出しており、制服のワッペンを剥がして暴行に及ぶなど、警備業法に明らかに違反した行為すら目撃されています。区の水辺と緑の課は、ガードマンに暴力的な業務を命ずるだけでなく、自らも暴力行為を率先して行うなど悪質な行為を繰り返しました。そもそもガードマンの多くは雇用条件も賃金もそれほど良くなく、その多くは非正規雇用の労働者です。この貧しい者(ガードマン)を使って、より貧しい者である野宿者を暴力で排除させようとする区の姿勢は、絶対に間違っています。区は自らの暴力行為と、ガードマンに暴力行為を指示したことについて、謝罪すべきです。

【3.野宿の小屋に対する行政代執行を止めてください】

2月6日現在、代執行の対象地に一軒だけ残った小屋に対し、行政代執行の令書が出されています。代執行の期日は2/6〜2/10。その小屋に暮らすAさんは、60代半ばで体の調子があまりよくありません。移動する意志はあり、自分のペースで引越しの準備をしていますが、期日までに終わるかどうか不透明です。このような状態のAさんに対し、代執行による強制排除を行うことに何の意味もありません。

また、代執行に強いられる形で一月の終わりに代執行対象地から移動した仲間たちの小屋に対しても、新たに警告書が貼られています。これらの小屋にも、再び行政代執行を行おうというのでしょうか?しかし、このようなやり方を繰り返して何になるというのでしょう?代執行の手続きを今すぐに止め、これからも行わないよう求めます。

【4.野宿者についてのデマを流すのを止めてください】

江東区は、竪川河川敷公園の封鎖について、ホームページ上で「住民の安全をまもるため」と主張しています。しかし、これまで何年にもわたり、竪川河川敷公園に野宿の小屋はあり、地域で暮らす人々との間に一定の関係ができていました(挨拶を交わしたり、衣類や食べ物の差し入れなど)。暴力的な封鎖をして、それをテントのせいにするのは、野宿者と地域で暮らす人々との関係を悪化させるためとしか思えません。また、江東区では少年らによる野宿者襲撃が数多く起きています。2011年12月11日には、区内の公園で野宿する仲間が襲われ、肋骨3本を折る大怪我を負っています。野宿者を暴力で追い出し、なおかつ「野宿者は危険」というデマを、区自らが流すことは、少年らによる野宿者襲撃を煽ることになります。このようなデマを流すことを直ちに止めるよう求めます。

【5.区は「だまし討ち」による強制排除の責任をとり、真摯な話し合いを】

今回の一連の強制排除が起こる前、江東区水辺と緑の課は「話し合いを行う」「強制的なことはしない」と繰り返してきました。その言葉を信じ、工事の支障にならないところに移動した仲間に対し、区は行政代執行による強制排除の手続きを進めました。これではだまし討ちです。区は、このような道理に反する自らの行いについて謝罪し、責任をとるべきです。また、このような嘘をつき強制排除を行うことを2度と繰り返すことがないようにしつつ、真摯な話し合いを求めます。

【6.貧者を追い出して進む街の再開発に異議あり】

竪川河川敷公園の排除は、近隣地域の再開発が進行する中で起こっています。墨田区に建設中のスカイツリーのオープンを5月に控え、近隣の区で再開発に伴う環境浄化と野宿者排除の動きが目立って増えています。墨田区では「スカイツリーオープンまでには小屋は出ていかせるからな」とガードマンが言って廻り、追い出しが強まっています。竪川河川敷公園の全面改修工事も、スカイツリー目当ての観光客を誘致するためという側面があります。改修工事により作られた、竪川河川敷公園のカヌーカヤック練習場は、有料の施設であり、私企業にその運営が委託されています。こうして、公共空間が企業に売り渡され切り縮められる中、貧しい人々が追い出されていきます。これは、街全体を富める者のために作り替えることにほかなりません。私たちは貧者を追い出してこじゃれた施設を作る再開発に反対します。



竪川河川敷公園野宿者有志

山谷争議団・反失実

山谷労働者福祉会館活動委員会

【連絡先】東京都台東区日本堤1-25-11 山谷労働者福祉会館気付

ブログ http://www.jca.apc.org/nojukusha/san-ya/


超高層ビルのガラスの危険


超高層ビルはガラスも危険である。誰かが力を加えたわけでもないのに、高層ビルのガラスが突然割れて地上に降り注ぐ危険がある。東京・丸の内の三菱商事ビルディングでは2009年7月にガラス落下事故が起きた。原因はガラス中の不純物の膨張である(「高層ビルのガラスが自然に割れる?」ケンプラッツ2010/04/13)。割れない前提で「倍強度ガラス」が使われていたが、高層ビルという特殊性で割れてしまった。

落下事故を受けて三菱商事は塔屋のガラス520枚を撤去する(「三菱商事ビルでガラス520枚撤去、09年の落下は不純物膨張」ケンプラッツ2010/04/05)。三菱商事ビルでは海外で製造された倍強度ガラスが落下した。しかし、アラップ・ジャパンの松延晋氏は国産メーカーでも倍強度ガラスの自然破損が「私の知っている範囲でも3件ある」と語る(「追跡・ガラス落下事故(2)JISより厳しい管理を求める」ケンプラッツ2010/04/26)。

超高層ビルのガラスは風にも弱い。米国では指先ほどの大きさの小石がガラス張りの高層ビルを機能停止に追い込んだ実例がある。2005年にニューオリンズ市を襲った「カトリーナ」では、市内の高級ホテルの窓ガラスの多くが割れて室内が水浸しになり、長期にわたって使用が不可能になった(「もし巨大台風が高層ビル街を直撃したら?」ケンプラッツ2011/09/20)。


ジャーナリスト講座


ジャーナリスト講座 全てを疑え!


循環型メディア「目覚めるラジオ」は2012年2月4日に「ジャーナリスト講座 全てを疑え!」を東京都渋谷区円山町のリアルタイムコンピュータ学院渋谷校で開催した。パネリストは銃器評論家・ジャーナリスト・作家の津田哲也氏、ジャーナリストの三宅勝久氏、真相JAPAN主幹の橘匠氏である。それに行政書士の藤田泰裕氏とパナソニックPDP偽装請負事件訴訟原告の吉岡力氏、東急不動産だまし売り裁判原告の林田力が加わった。

冒頭は橘氏が津田氏との関係を説明した。「ネット上では植草事件が冤罪であるとの見解が支配的であった。私も冤罪説を採っていたが、津田先生に反論され、論破された。それ以来、押しかけ弟子のようになっている」

続いて橘氏は出版業界の惨状を話した。「名の売れた作家の本ばかりが出版され、新人が育たない。林田さんによれば書籍は集中しても年間に六冊くらいしか書けるものではない。他のこともすれば三冊が限度ではないか。年に十冊も出している作家がいるが、ゴーストライターの存在が疑われる」

津田氏「雑誌記事は編集部の意向が入ることが少なくないが、単行本は著者の責任となる。何度も校正の過程を経る。年に十冊も出せるようなものではない」

橘氏「津田氏の小説『汚名刑事』は銃器摘発という警察の暗部を描いた。津田先生は海外で年度も拳銃の発射を経験している。だから拳銃の描写がリアルである」

橘氏は三宅氏の説明に移る。「三宅さんは『悩める自衛官―自殺者急増の内幕』で自衛隊員のサラ金・女遊び・酒・ギャンブルや自衛隊内のイジメ・暴力を取り上げた。今でこそ自衛官の自殺はマスメディアでも取り上げられているが、2004年の出版当時は新鮮であった。

私は高額な教材のセールスをしていたが、自衛官は結構購入してくれる客であった。ところが、割賦購入の信用履歴を調査すると結構つまんでいる人が多かった。このため、自衛官は金の使い方が分からない人が多いという印象を受けた。本書を読んで納得した」

三宅氏「防衛庁から防衛省に昇格した頃から自衛隊が政治に影響力を及ぼすようになってきている。2007年の参議院議員選挙で当選した佐藤正久議員は元陸上自衛隊一佐で、イラク第1次復興業務支援隊長としてイラクに派遣された」

林田力「ヒゲの隊長と呼ばれていた」

三宅氏「佐藤議員の選挙は防衛庁ぐるみで行われ、自衛隊法違反と考えている。佐藤氏への献金者名簿には田母神俊雄ら当時の現役幕僚長の名前が登場する。陸上幕僚長の森勉氏が佐藤正久後援会の代表者になっている。

気に食わない政治家が防衛大臣になると、『安全保障の素人』などの発言を大きくメディアに報道させて更迭させようとする。内部では民主党派と自民党派に分かれて権力闘争が進行中である。日本には軍事クーデターの危険が十分にある」

津田氏「武力的なクーデターは非常に難しい。武器使用の手続きが厳格に定められている。駐屯地の歩哨ですら弾丸なしの小銃で警備している。有事には対応できないのではないかとの心配があるほどである」

三宅氏「武力行使のないクーデターもある。脅しだけで足りることもある。また、武器庫の警備兵は実弾で警備している。銃を使った自衛官の自殺も少なくない」

津田氏「それは警察も同じである」

三宅氏「規則上は武器の管理が厳しいことは確かであるが、それが逆に隠蔽を生んでいる」

三宅氏は安斉昭・杉並区議会議員が現職の東京電力の従業員であったとのスクープを説明した。安斉昭氏は東京電力OBと紹介されることが多く、三宅氏自身も著書『日本を滅ぼす電力腐敗』でOBと書いてきた。ところが、東京電力に籍を置き、同社から給料を受け取っていた。

安斉昭区議ら民主党区議は2008年に一部公金を使って青森県の原子力施設を2泊3日で視察し、「原発は必要不可欠」とする視察報告書を作成した。その報告書は東電・九電・中部電力や青森県の資料からのまる写しであった。統一地方選挙前に安斉氏が現職東電社員であることを明らかにできなかったことが悔やまれる。

(林田力コメント:統一地方選挙前ならば影響があっただろう。自己の政治力で武蔵野市を計画停電対象地域から除外させたかのようなビラを配布して批判された松本清治氏は武蔵野区議選で落選している)


ジャーナリスト講座:裁判所の問題


橘氏「裁判所の問題を話したい。私は東京高等裁判所の民事訴訟の口頭弁論を傍聴したことがある。裁判官も控訴人代理人も被控訴人代理人もやる気のない人達であった。これほど、やる気のない人達とは驚きであった」

津田氏「裁判では書類のやり取りが中心で、弁論は形式化している」

三宅氏「東京地裁と東京高裁の合同庁舎には入口が二つある。一つは裁判所職員や検察官、弁護士、司法記者クラブ加盟企業の記者用である。これはノーチェックで入館できる。もう一つはテロ容疑者用で持ち物検査をさせられる。抗議したが、庁舎管理権と言うだけで納得のいく説明はされなかった」

林田力「庁舎管理権を勘違いしている。向こうの論理は『自分達に管理権があるのだから、自分達の定めたルールに従え』ということになる。しかし、自分の所有地ではなく、国民のための裁判所の問題である。自分達の勝手ではなく、裁判を受ける権利や裁判の公開に資するように庁舎管理権を行使しなければならない」

三宅氏「セキュリティーの観点では逆に問題がある。たとえば弁護士バッチを捏造するなどして弁護士として入館すれば危険物の持ち込みもスルーされると宣言しているようなものだからである」

林田力「セキュリティーよりも、裁判の権威付けのためだろう」

三宅氏「結局は『お上の言うことに文句を言うな』になる。裁判官も勲章をもらって喜んでいる。日本は近代国家でも法治国家でもない。法の下の平等ではない。中世封建社会と見れば納得できる」

林田力「私は東急不動産から新築マンションを購入したが、隣が建て替えられるという情報を隠してだまし売りされた。隣の土地の所有者は建て替えすると東急不動産に説明し、東急不動産は建て替えをマンション購入者に説明することを約束した。ところが、東急不動産は販売時には隣地建て替えを隠していた。後で真相を知った私は消費者契約法第4条第2項に基づいて売買契約を取り消し、東急不動産を提訴して売買代金を取り戻した。

裁判所の官僚的体質は多くの方々が多くの場所で指摘済みで、わざわざ私が繰り返すものではない。東急不動産だまし売り裁判原告として不動産問題に取り組んだ私としては、官舎の問題を付け加えたい。裁判官は基本的に官舎住まいである。公務員住宅全体には税金を使った官民格差の不合理があるが、特に裁判官が生活の基本である住宅を国にあてがわれていることは国への従属度を強めることになる。

自分で家探しして、敷金や礼金を払うという経験がないと消費者の立場で不動産問題を考えることはできない。官舎住まいでは市民感覚から離れてしまう。裁判官は転勤が多いという事情があり、住宅関連の手当てが必要としても、キャッシュで手当てとして支給し、自分で民間の不動産市場で契約する経験をすべきである。それによって少しは市民感覚に近づくことができる」

三宅氏は自ら原告となり、勝訴した住民訴訟について語った。杉並区の非常勤監査委員二名は区議から就任している。非常勤監査委員には月額15万円の報酬が支払われ得る。ところが、月の在任期間が僅か土日二日間だけでも一か月分の報酬が満額支払われていた。

三宅氏は監査請求したが、「条例に従って適切に支払っている」などと棄却した。これに対して三宅氏は杉並区長に返還請求を求めて東京地裁に住民訴訟を提起した(杉並区監査委員報酬返還請求事件)。2010年9月30日の主張が認められて東京地裁判決で勝訴した。

休憩時間に林田力は世田谷区で起きている住民訴訟について話した。世田谷区の二子玉川では再開発「二子玉川ライズ」が進行している。東急電鉄や東急不動産が超高層の分譲マンションやオフィスビルを建てる計画であるが、住環境を破壊するために住民から反対運動が起きている。世田谷区や東京都は二子玉川ライズに2010年度までで総額400億円超の補助金として出している。現時点で住民訴訟が東京高裁に係属中である。

また、世田谷区では二子玉川にデジタル・コンテンツ産業を集積させるという産業政策を定め、これを実現するためにNPO法人に補助金を支払ったが、NPO法人が事業を投げ出してしまった。

世田谷区はNPO法人と支払い済みの補助金約2000万円を約950万円に減額して債務弁済契約を締結したが、担保も保証人も取らない長期分割払いという甘いものであった。しかも、NPO法人は最初の一回分16万円だけ支払っただけで、後は踏み倒している。これに対して桃野よしふみ世田谷区議は2012年1月に住民監査請求を行った。


ジャーナリスト講座:弁護士の問題


藤田氏は2012年1月に神田のカメさん法律事務所の太田真也弁護士に対して150万円の損害賠償の支払いや記事の削除などを求める訴えを東京地裁に起こした。太田弁護士が運営するブログ「ヲタク弁護士OHオタクんの日常を綴った痛いブログ」などに掲載した記事で名誉・信用を棄損されたとする。太田氏は「誹謗中傷行政書士」などと書いていた。

この問題の発端は藤田氏がブログで南洋株式会社(サイパン)が投資家からの出資を募るナマコ・ファンドなどの商法に疑問点を指摘したことである。南洋は無断で名前を使用したとして青森県や青森県漁業協同組合連合会から抗議を受けている。

太田弁護士は南洋の代理人として藤田氏に削除を要求する内容証明郵便を送付した。藤田氏は「事実に反する内容とは何か」と反論する文書を送付した。それに対して納得のいく回答は得られていないという。藤田氏は以下のように述べている。

「『弁護士』の肩書きと『法的手段』とさえ書けば、相手はビビってブログを削除するだろう、具体的な事実を書かなくても問題ないだろう、と太田弁護士が考えていたとしたら傲慢だし、内容証明作成は手抜きと言わざるをえないですね」(「神田のカメさん法律事務所(太田真也弁護士)が弁護ミス(弁護過誤)!?」2011年10月17日)

その後、太田弁護士は「かなめ行政書士事務所」内の記事6件、津田氏の「NEWS RAGTAG」内の記事4件について削除を求める仮処分を申し立てた。このうち削除が認められたものは1件のみであった。この結果に対しては「かなめ行政書士事務所ブログに掲載された誹謗中傷記事の削除に成功」とする太田氏と「神田のカメさん太田真也弁護士が、かなめ行政書士事務所の削除に失敗!!」とする藤田氏で評価が分かれている。

藤田氏は太田弁護士の問題点として弁護士職務基本規程第14条「違法行為の助長」の「弁護士は、詐欺的取引、暴力その他違法若しくは不正な行為を助長し、又はこれらの行為を利用してはならない。」への抵触を指摘する。

林田力「弁護士は依頼人の利益になれば何をやっても許されると勘違いしている」

津田氏「依頼人の代理人であるということで責任逃れができると思っている」

津田氏も不当な言論弾圧と戦っている人物である。津田氏はブログ記事が名誉を棄損したとして増田俊男氏とサンラ・ワールド社から3300万円の損害賠償などを求めて提訴された。サンラ・ワールド社に対して訴訟を起こした公認会計士をサンラ出版元社長らが脅迫した事件と、増田俊男氏の同事件の関与を佐藤博史弁護士がもみ消した事件を書いた記事が争点になった。2008年10月の東京地裁判決は「記事は公共性を図ることが目的で、主要な内容が真実である」とし、津田氏の勝訴判決となった。

参加者のブロガー「裁判所の不正を正す会」からは本人訴訟(平成23年(ワ)第6029号慰謝料請求事件)の第2回口頭弁論が告知された。ブロガーは本人訴訟で日弁連と静岡弁護士会を被告とする横浜地裁第9民事部・平成23年(ワ)第2003号損害賠償請求事件を提起した。

ブロガーが裁判官の強引な訴訟指揮に苦情の手紙を出したところ、横浜地裁第9民事部は裁判官忌避として扱い、決定書が送付された。ブロガーは忌避を申し立ててらず、当然のことながら印紙も納付していない。これは「裁判所の職権濫用」「裁判所ぐるみの不正」として国と裁判官、書記官を相手に160万円の損害賠償を求めて提訴した。第2回口頭弁論日は2012年2月28日13時15分から横浜地方裁判所603号法廷で開かれる。



かなめ行政書士事務所 http://kaname-office.cocolog-nifty.com/blog/

裁判所の不正を正す会 http://treatage.cocolog-nifty.com/blog/


市民が求め創るマニフェストの会


世話人会


市民が求め創るマニフェストの会は2月6日に東京都内で世話人会を開催した。林田力は『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者の立場から不動産政策を中心に参加している。売買契約後に判明した欠陥は契約白紙化に、宅建業法違反業者への迅速な処分と周知公表の徹底を提言している。他にも不動産問題ではマニフェストに政策が出されている。将来的な課題として不動産政策として統合・拡充することが提言された。今回はセーフテイネットの整備と経済政策を分離することにした。

林田力はマニフェストには政策を簡潔にまとめ、詳細な理由説明を解説集にまとめることを提案した。労働者派遣法の改正については具体例として登録型派遣の禁止を提言した。

奨学金制度の拡充については給付型奨学金とすることを提案した。現状の貸費中心では返済で奨学生の生活を圧迫するためである。米国では奨学金ローン破産も起きている。奨学金ローンについては社会に出る前から金融資本主義に組み込まれてしまうとの意見も出された。

ホームレスの社会復帰のための施設と制度の整備について、林田力はホームレス追い出しに悪用される危険性を指摘した。

外国軍基地の撤廃について、林田力は海上自衛隊がアフリカ東部のジブチ共和国に基地を設けており、日本も外国に基地を設置する側であると指摘した。

公安警察の縮小や取り調べの可視化は警察の問題としてまとめる。環太平洋経済協定は独立の項目を立てる。脱原発については処理できずに残り続ける放射性廃棄物の問題と原発推進派の動機に核兵器開発能力の保持があるとの視点を持つことが提言された。


除染についての公開質問状


2012.2.9

福島県知事 佐藤雄平 殿 

市民が求め創るマニフェストの会

 佐藤雄平知事をはじめ福島県民のみなさまにおかれましては東北大震災における被害にとどまらず、福島第一原発事故に遭遇し事故収拾は今後30年とも50年とも言われ、その心労について心からお見舞い申し上げます。貴兄をはじめ福島県にて行政に取り組まれる皆様方の昼夜を分かたず献身的に取り組まれるご労苦とご努力に頭が下がる想いが致します。

 今回の事故の責任は国と東京電力であり、県民には一切責任ありません。一部には原発立地に賛成したではないか、と言われていますが「原発は絶対安全」と説得されれば賛成するのは自然でしょう。今まだ放射能は漏洩しています。これを完全に止めさせ、汚泥の保管を東電に処理させるよう、国と東電に要求していく必要があります。

 さて福島県におかれましては、2月2日に総額1兆5763億円の2012年度一般会計当初予算案を発表なされました。福島第1原発事故による放射性物質の除染や被ばくから健康を守るため、前年度比75.1%増と大幅に伸び、12年ぶりに過去最高を更新しました。15日開会の県議会2月定例会に提出される、とのことです。(2012.2.3河北新報)

除染、汚染廃棄物処理関係予算について質問をさせていただきます。

 除染費用について国は約1兆数千億円の予算を計上しています。これは福島県民を主に被曝から健康を守る為(除染、汚染廃棄物処理、中間貯蔵施設調査等)と、政府は発表しています。

 この除染費用は福島県民を含む国民の税金から支出されることであり、私どももこのことに、関心をもちその成果を見守っています。

公開質問

1 私どもは除染を行う前に県民の健康を守るため、移住(主に県外でその費用は除染対策費用等で賄う)を先に行うべきと考えています。

それは、除染についての有識者の見解を学ぶ中で、いくつかの懸念を知ったためです。さらに、大人よりも体内被曝を受けやすい成長期の子どもたちが成長期に被る著しい被害を避けるためには、なによりも遠隔地に避難することが現実的な有効策と考えるからです。

 除染につきまして、除染を行って排除され排出される放射性物質の収集とその保管は、具体的にどのようになされるのでしょうか。それを明らかにしてください。

2 除染は移染・拡散とも言われており、除染の効果は余り期待できない、と言われています。

除染によって健康を守る、と言われていますが、それはどのような方法によって検証・実証されるのでしょうか。そのことを明らかにしてください。

 以上二点について公開質問状を提出致します。ご多忙中と思いますが、回答を2月29日(水)までに、文書にてお願い致します。

 

市民が求め創るマニフェストの会 石垣敏夫

以下 藤井けいこ、池邊幸江、大津久カ、林田力、石橋行受、豊田義信、千一鎌倉・今村哲男・正清太一・丸山南里・原秀介・景山恵司・櫻井智志


市民が求め創るマニフェスト2月6日版


平和共に生きる社会を求めて 2012.2.6

市民が求め創る マニフェスト「政権公約」(案)

東北大震災と原発事故という日本にとっての非常時事態がおきてはや一年になろうとしています。これらの事態を鑑みて、このマニフェストを改めて検討しました。そして国会議員をはじめとして地方自治体の議員さんたちを含め、市民の立場から求める政権公約として賛同を頂き、市民が求めるマニフェスト実現議員として活動の基礎にして頂くため、市民の意見をまとめ作り上げてきました。これからもみなさんのご意見を基にさらに良いものを創りあげたいと考えています。

  <これまで投票に行かなかった人にも伝わるよう、市民みんなで創りましょう>

★ 能力に応じて働き、必要に応じて与えられ、争い・貧困・差別・排外がなく、自殺者も生まれず、芸術・文化が溢れ、一人ひとりの個性を伸ばし、お互いを認めあう豊かな社会を目指します。

1 東北大震災への復興支援の方法: 真に地元民と地元の中小企業のためになるよう守り育てていく方法がとられることを望む。決して遠く離れた中央官庁の指令でなく、又大手ゼネコン優遇による復興支援の名のもとの利権争いでない、真っ先に地元を大いに生かし希望を持って起業してゆけるような支援をすべきです。

2 TPP(環太平洋経済協定)は、食糧自給率等の農業問題だけでなく、あらゆる分野で国民の生活を脅かします。格差もデフレも進行し、食品の安全性も損われ国民皆保険制度も崩れ、国民の税金が海外に流出します。ISD条項により国家の主権も崩壊します。話し合いに参加すれば抜けられない仕組みだから、なんとしても止めるべきです。

3 福島第一原発事故の解決

1) 事故の完全収束、原因の究明と責任の所在を明らかにする。2)被曝者の健康を守り、生活を補償する。3)労働者・農民・漁民等の就業を保障する。4)被曝を避けられない除染は中止し、必要とされる除染事業だけでなく、子どものいる家族の避難・疎開・移住と生活・就業を保障する方向もあわせたバランスのよい支援をすべきだ。

4 エネルギー政策の転換

原子力発電の全面廃止:第2のフクシマを出さないように全世界に向かって原発と核の廃絶を訴える。エネルギーは水力、火力だけに頼らず、太陽(光熱)・地熱・風力・海洋・バイオマス(廃材)・水素発電等々リサイクル可能な代替エネルギー、の開発・援助を行う。独禁法に触れないよう発送電分離を行い、新規事業者の参入を容易にさせる。

5 セーフティーネットの整備(社会保障の確立)<誰もが子どもを生み育てられる社会へ> 

(憲法25条の実現)国民の最低限度の健康で文化的生活を営む権利を守り国家はそれを遂行すべき。

1)労働者派遣法(登録型派遣の禁止)、正規社員を増やし、労働者の生活を安定させる。2)同一労働同一賃金、3)最低賃金を引き上げる。ベーシックインカム(基礎所得保障)を検討する。

4)ワークシェアリング「勤務時間短縮」で解雇者を出さない 5)失業者救済制度の法整備とその実施 6)年金のあり方を検討し支給の不正、未支給の解消 7)医療派遣制度の検討と従事者不足を解消する・介護従事者確保の為の施策を進める。現在一割負担が凍結された障害者自立支援法の新法を検討。障がい者の学習権を保障。高齢者の生活と人間としての尊厳を保証し、終末のホスピスケア等地域社会で高齢者を見守り生かせるよう自治体と国が行う。

8)就学困難児童・生徒への援助、奨学金制度を充実させる。9)公的住宅(低家賃住宅)の増設

10)不動産取引の健全化(土地使用制度の見直し、売買契約後に判明した欠陥は契約白紙化に・宅建業法違反業者への迅速な処分と周知公表の徹底)

11)貧困者向け生活補助制度を確立する(生活保護法・就労就学支援の充実)

12)労働基準法を守らない企業に対する指導の徹底

労働基準監督署が各企業を回り、当該社員からの届け出がなくても実態を調査し、改善をはからせる。

ア)未払い残業(サービス残業)の禁止 イ)有給休暇取得と利用の権利と消化を保障する。

13)ホームレスの社会復帰のための施設と制度を整備する 14)厚生労働省から労働省の分離独立を検討する。 

6 外交・防衛

1)憲法9条を守り世界に広める。(日本国憲法前文と第9条を世界各国の言語に翻訳して、各国に配布する)

防衛省の経費・実務は機密でなく情報公開とする。自衛隊の海外派遣反対(ジブチから撤退する)、自衛隊を縮小し、災害救援や緑を守る等、自衛隊の日常業務内容も検討する。武器輸出禁止3原則を厳守する。

国民投票法(施行2010年・平成22年5月)の再審議をし、改憲阻止をはかる。

すべての国から外国軍基地(日本は米軍基地)をなくし、9条こそ最大の抑止力として国家間の武力紛争をなくす。

2)「日米安保条約」の見直し・解消(安保条約破棄第10条:一年ごとの更新、片方からの申し出で即廃棄できる)し、「日米平和友好条約」を締結する。@ 思いやり予算の打ち切り A 普天間基地無条件撤去、沖縄差別をなくす B米軍基地の縮小・撤去、基地被害を絶無にする。

3) 近隣諸国との友好を深め、領土問題等国際紛争の解決には武力を用いない。近隣諸国との人的、経済、文化交流を拡大し、友好条約を生かし、相互の信頼関係を深める(このことが真の抑止力となる)。朝鮮民主主義人民共和国との戦後補償問題を解決し・国交正常化(平和協定を結ぶ)をはかり、拉致問題の早期解決をはかる。北方領土(歯舞・色丹・国後・択捉)の返還要求は国際司法裁判所への提訴も検討する。 4) 核兵器廃絶を実現する 核の拡散を防ぐため核保有国の「核兵器不使用宣言」を求め、国連で採択させる。人類共有の悲劇である広島・長崎の被爆を世界に知らせて核廃絶の道を進める。米国の核の傘からの離脱。非核3原則の法制化。 5)核兵器製造保有の意図であった原子力発電推進の政策を止める。原発は廃止して福島から放射能汚染を引き起こした贖罪をすべきです。

5 選挙問題

1)企業からの献金廃止 2)親と同じ地盤(同一選挙区)からの世襲立候補禁止 3)小選挙区制の見直し(少数党を優遇) 4)議員定数削減反対、報酬の見直しを、クォータ制導入(男女の構成比率決定、2009年は女性議員9.4%)

5)費用のかからない選挙制度の実現、供託金を引き下げる。インターネット利用の検討6)政党交付金(助成金)のみなおし 7)誰もが立候補できるように、選挙活動期間中(法定)の休職を保障し、復職可を義務づける。

6 財源を確保して税金の無駄使いを禁止する。

1)中小零細企業援助の拡大 2)軍縮・防衛費の大幅削減(軍事費を教育・福祉にまわす)、国防費の公開、事業仕分けに載せる。思いやり予算の打ち切り。 3)公務員天下り廃止(公募制を導入)と公務員の有効活用(出向等) 4)一般会計の3倍もある裏帳簿の特別会計を表に出し、特殊法人・公益法人・独立行政法人・原燃・・など税金無駄遣いの整理・廃止を断行5)資産課税、相続税、所得税による累進課税の強化(年収1億円以上に増税)消費税による増税は認めない。

6)最高限所得(国民の平均年所得の30倍までとする)・最高限資産(国民平均資産の30倍まで)の制定を検討。

7)不労所得への課税システムの強化(地主、家主、土地使用制度の見直し)8)企業の株主配当を下げ、役員報酬を削減、企業内部留保金を従業員の待遇改善に回し、社会全体の消費を高め経済を活性化させる。9)バブル経済の防止と赤字国債の解消為 日銀総裁の解任権を国会が持ち、日本政府が通貨を発行できるよう検討する。

7 食糧自給率の拡大:農林水産業の再生・個別所得補償制度の検討(日本の過疎地域での共同化や自給自足への補助奨励)「世界の食糧不足の原因究明と解決方法の模索」

8 司法:裁判員制度の見直し:義務化反対・冤罪(えんざい)の根絶と死刑廃止を目指す。裁判官は権力に媚びない。

9 警察: 公安の縮小、取調べ可視化の実現、(警察署の風通しを良くして、国民が不当な扱いを受けないようにする) 

10 環 境 放射能による汚染も毒物の汚染と同等かそれ以上の危険物として扱う。 地球汚染の防止、自然環境保護、生活に役立つものを研究・開発して、それらの製品や技術の輸出を日本の主要産業にする(国の助成を検討)。持続可能な社会を定義したナチュラルステップを環境政策の基本とする。宇宙開発は軍事目的ではなく平和利用のみとする(宇宙基本法を宇宙保護法へ)。海底資源の調査・研究・開発。ごみゼロを目指し、再利用と発生の抑制を考える。屋上の緑化推進。遺伝子組み換え食物の禁止。有害物質の検出強化。受動喫煙の害を防ぐため、公共の場等不特定多数の人々が利用するスペースは禁煙とする。全てに有用な大麻の栽培を図り新たなエネルギーとする。

11 平和教育 「人権尊重・多文化共生」を目指す、民主教育の推進。学校に「平和学と政治に関する講座」を設ける。

12 改正教育基本法を元に戻す 教育の国家統制を認めない。教育現場における不当な労働強化、監視と管理体制の廃止。「こどもの権利条約」を教育現場に生かす。 

13 共生の経済

1)社会協同組合(協同労働の協同組合)の法制化(労働者を守る)2)NPO法の改正(NPO法人認定の緩和や支援の充実)3)NPOや政党への寄付については、全額税控除を導入する。

14 人権保障 人種差別撤廃条約の国内法を整備する。国連自由権規約委員会の勧告を受け入れ、女性の人権問題・日本軍「慰安婦」に関する国会決議・立法措置を行う。性的マイノリティ、アイヌ民族、外国人の人権保障。夫婦が同姓でも、別姓でも自由に選択できるようにする。

15 記者クラブの開放 マスコミメディアへの国家権力・経営利権者の介入を阻止し、ジャーナリズムの自立を保障し、市民メディアの参加を認めさせる。

16 地方分権の推進  地方財政の確立、地域で行う仕事に対し、国は介入しない

17 地方参政権 定住外国人の地方参政権を認める。(在日外国人の人権を尊重し、意見を反映させる)




脱原発


林田力が脱原発でインタビュー


脱原発と代替エネルギーのテーマで林田力がインタビューを受けた記事がレイバーネット日本に掲載された(上田眞実「脱原発と火力発電所の話 林田力」レイバーネット日本2012年2月12日、上田眞実「脱原発と自然エネルギーの話 林田力」レイバーネット日本2012年2月14日)。脱原発が合理的であること、代替発電は既存の火力発電で十分であることを主張した。長期的には自然エネルギーが望ましいが、現状では自然エネルギー利権に巻き込まれる問題があるとも指摘した。

原子力発電はコストが高く、原発による発電が電気料金を高くする一因となっている。原発事故以前に原発は発電方法として非効率である。原発で生じるエネルギーの大半は発電ではなく、周辺の海を温めるために使われている。そして東京電力福島第一原子力発電所の事故は、隠された原発のコストの大きさを白日の下にさらした。「原発のコストは他の電源より安い」という原発推進の偽りが露呈した。

これまで電力会社は地域独占が認められ、料金設定はコストから計算されていた。コストを高くすれば料金も高くできる仕組みになっており、高価な原発を導入し、原発推進に膨大な広告費を投入するインセンティブになっていた。

原発推進派には「原発反対派は電気を使うな」との暴論を主張する者がいるが、筋違いである。もし電力消費者として発電所を選択できるのであれば、喜んで原発以外の発電所を選択する。

原発推進派には原発反対派に代案の提示を要求する者がいるが、筋違いである。原発反対派は原発が問題であるから反対するだけであり、代案を提示しなければならない義務はない。政商と批判される孫正義のような自然エネルギー利権などに原発反対派が巻き込まれる必要はない。

原発反対派は最初の原発設置の時から一貫して反対してきた。自然エネルギーの研究を怠り、これまでひたすら原発を増やしてきたという経緯は反対派を無視して築かれてきたものである。既に原発が存在するから、それを前提にしろ、というのは既成事実の強引な押し付けである。

原発がなくても電力供給は困らない。「原発が無いと、電力が足りない」は虚偽である。東日本大震災直後に電力供給が逼迫したことは事実であるが、それは火力発電所も操業を停止したためである。火力発電所は迅速に復旧している。

計画停電は原発の必要性をアピールするための脅迫停電である。武蔵野市会議員が東京電力に停電対象からの除外を要請した武蔵野市が政令指定都市を差し置いて計画停電対象から除外されるなど計画停電は恣意的であった(林田力「武蔵野市を計画停電対象外とする不合理」)。

http://hayariki.net/atom.html

火力発電所は余力を持っている。原発優先の国策と出力調整が不得手という原発の欠点があるために火力発電所を休ませて原発で発電させた。そのために原発の発電量が3割を超える結果となったのであり、火力発電所で補うことは可能である。現実に2003年に東京電力の17基の原発がトラブル隠しによって全て停止した際も電気は供給された。

原発推進派は火力発電所依存に対して二酸化炭素の排出を持ち出す。しかし、これこそ本末転倒の議論である。放射性廃棄物の有害性は二酸化炭素の比ではない。汚染を防ぎ環境を守るには、放射性廃棄物を封じ込めて未来永劫、隔離する必要がある。環境を持ち出すならば原発こそ槍玉に挙げなければならない。


火力発電所売却は市民本位の電力自由化になるか


東京電力は福島第一原子力発電所事故による賠償や廃炉費用などを確保するため、火力発電所の新規着工を見送り、既存の火力発電所の売却を検討すると報道された。これは発送電の分離という電力自由化の究極目標に東京電力自身が一歩踏み出したことを意味する。政府内でも火力発電所を売却して事実上の発送電分離を実現する案が浮上している。これが市民にとって好ましい動きか否かは議論の分かれるところである。

電力自由化は原発利権を打破したい人々にとって歓迎できるものである。宮台真司氏はエネルギー政策の転換について「消費者が電力会社や発電所、発電方式を選択できるようにすることが必要」と指摘する(林田力「保坂展人・世田谷区長は世田谷電力で脱原発!?」)。太陽光発電など自然エネルギーについては体制側も独占企業や天下り法人を考えているとし、それでは従前の電力供給独占体制と変わらないと述べる。

http://hayariki.net/shimokita.html

一方で電力自由化の持つ新自由主義的性格には懸念がある。火力発電所を新規着工せず、既存の火力発電所を売却する東京電力は、代わりに発電設備を持つ工場などから入札で購入する方針である。福島第一原発事故では事故で迷惑を被った住民への無責任ぶりが露呈したが、電力の外部調達は一層の無責任化をもたらしかねない。

また、資産の売却は「かんぽの宿」疑惑のような濡れ手で粟の利権を連想させる。たとえば東急リバブルは旧日本郵政公社から評価額僅か1000円で取得した沖縄東風平(こちんだ)レクセンターを4900万円で転売した(林田力「日本郵政ガバナンス問題調査専門委員会報告書公表」)。

http://hayariki.net/poli/kanpo.html

火力発電所売却は市民本位の電力自由化になるか注視したい。


放射能汚染に対する除染の幻想


福島第一原発事故で広範囲に広がった放射能汚染に対し、除染に過大な期待をすべきではない。以下に理由を述べる。

第一に効率性である。福島原発周辺地域から人間を移動させることと、周辺地域にある物質(大気や土壌、地下水まで)を除染することの何れが相対的に容易かという問題である。除染は絶望的な作業である。

恐らく行政は福島第一原発から半径50キロメートル以内の住民を避難させることは頭から非現実的と考えているだろう。しかし、半径50キロ内の放射能に汚染された物質全てを除染する方が難事業である。避難よりも除染の方が容易で経済的と考えているならば、適当な除染で、お茶を濁そうとしていることになる。

第二に除染の未完成性である。除染は拡散した放射性物質を抽出して隔離することである。原子力発電所の基本は「閉じ込める」である。福島原発事故では「閉じ込める」ことに失敗した。だから改めて放射性物質を閉じ込める必要がある。

ところが、除染技術は放射性物質だけを抽出するというところまではできていない。それ故に放射線量の高い土を全て取り出すという形になる。その結果、「閉じ込める」放射性廃棄物は膨大な量になる。そして、その膨大な放射性廃棄物を閉じ込める場所は見つからない。当時の菅直人首相が中間処理施設を福島県内に設置すると発表した時でさえ猛反発を招いた(林田力「第一原発からの撤退認めていたら東北は全滅していた…菅内閣の元側近が明かす3・11直後の官邸VS東電ドキュメント」リアルライブ2011年9月5日)。関係者が納得する最終処分場を見つけることは不可能である。

「除染に取り組めば、やがて効率的な除染技術が開発される」という楽観論があるが、これは原発推進派と同じ過ちを繰り返すことになる。このような論理で原発推進派も原発という未完成な技術を進めてきた。そして原発は放射性廃棄物の処理の点で「トイレのないマンション」にたとえられるが、除染を進めることも「トイレのないマンション」の矛盾に陥ることになる。

第三に偽りの除染の危険である。正しい除染は拡散した放射性物質を抽出して閉じ込めることであるが、それは上述の通り、行き詰るものである。そこで偽りの除染が登場する。放射性物質を一層拡散して希薄化することで放射線量を低下させることである。残念なことに日本では偽りの除染が進行している。放射能汚染水を海中に流す、放射能に汚染されたガレキを焼却するなどである。

これらは絶対にやってはいけないことである。特にガレキの焼却で大気中に放出されると内部被曝を防ぎようがなくなる。2012年1月に関東地方の照射線量が急上昇したことがあった。福島第一原発4号機に関心が集まったが、東京都によるガレキ焼却の可能性も指摘されている。世界中に放射性物質を拡散することで、国際犯罪にもなりかねない。

これは偽りの除染に対する批判であって、除染そのものの批判ではない。しかし、現実の除染の中に偽りの除染がある以上、批判しなければならないものである。

第四に除染は原子力村の延命になる。除染を行うためには原子力産業のノウハウが必要であり、除染は原子力産業を潤わせる。本来ならば福島原発事故は原子力産業の息の根を止める人災である。実際、ドイツなどでは原発から撤退した。ところが、日本の原子力村は除染ビジネスで肥え太ろうとしている。

これは放射能汚染の対策が人の避難ではなく、除染中心になってしまったことが問題である。避難中心ならば原子力村にとっては賠償や生活保障の問題である。ところが、除染中心となったために盗人に追い銭を与える状況になってしまった。除染幻想は罪深い。




避難と除染


福島第一原発事故では広範囲が放射能で汚染された。日本政府は2012年12月に「冷温停止状態」を宣言したが、到底収束したとはいえない。東京電力の損害賠償案に対しては、賠償額が低い、書きにくいと被害者の不満が殺到している。放射能を拡散させるばかりの政府の対応に海外からの視線も厳しさを増している。

福島原発周辺地域については外野がヒートアップしている。福島に残る人々を英雄視したり、「愚か者」呼ばわりしたりと当事者を置き去りにした感情的な応酬が見られる。巨大な社会悪との戦いにおいて感情は重要な要素であり、感情論を機械的に排除するならば権力者の思う壷になる。

放射能汚染へのアプローチとして避難と除染がある。避難は人に対する対処である。除染は物や空間に対する対処である。両者は必然的に二項対立となる問題ではない。避難も除染も原発事故後に行わなければならない対策である。避難と除染はセットで考えるべきとの主張は理想論として正しい。

しかし、避難と除染を二者択一で考えなければならない場面も存在する。何故ならば現実の政治の場ではリソースは有限だからである。避難も除染も容易にはできない難事業である。避難も除染もの「あれもこれも」ではなく、「あれか、これか」を迫られる。このために避難と除染で優先順位を付ける必要がある。

さらに問題を複雑にする点として除染派の姿勢がある。ここでは避難を重視する人々を避難派、除染を重視する人々を除染派と呼ぶ。

除染派には「除染するから避難は不要」との論理が見られる。このような主張が存在する限り、避難派としては除染の問題点を明らかにし、効果の薄さを指摘しなければならない。未だに放射能汚染下で生活する人が存在することが許せないという立場から、「あのような場所に住むことが信じられない」と警鐘を鳴らすことは非常に適切な発言になる。

また、避難派を「脱原発原理主義」とラベリングする除染派もいる。これは決して他者の共感を得られる表現ではなく、正しくもない。福島第一原発から放出された放射性物質がどの程度人体に影響があるかについては様々な主張がある。しかし、放射能の害を過小評価していると見られている日本政府でさえも福島第一原発の半径20キロ圏内は有無を言わさず避難しなければならない地域と定めた。

放射能汚染には個人の嗜好や土地への愛着は問題にならず、生命や健康のレベルから避難しなければならないレベルがある。避難を重視する人々は、そのレベルを政府の基準よりも厳格に考えているに過ぎない。原理主義でも何でもなく、放射線の健康への影響に対する見解の差異である。避難をオプションとして考えない方が放射能汚染対策の常識から逸脱している。

本来は放射能汚染への問題意識があるという点で共通する避難派と除染派が対立することは望ましくない。最大の敵は避難も除染も不要という放射能無害派である。多くの場合、「避難をするほどではない」という点で除染派と放射能無害派は意識的にせよ無意識的にせよ共闘関係にある。故に避難派が除染派を批判する必要がある。




避難の権利


避難の権利という考え方はバランスがとれている。

第一に権利と位置付けることで、行使するかしないかの選択を本人に委ねている。有無を言わさずに強権的に避難させる考えとは一線を画す。また、どうしても故郷に残りたいという人の自主性を否定するものではない。

第二に社会権的な人権と位置づけている点である。福島にとどまっている多くの人々も可能ならば避難したいと考えている。生活の見通しもなく自主避難すれば、放射能よりも先に避難先の劣悪な環境で健康を害するという面も否定できない。

現実に自主避難者が悪質なゼロゼロ物件業者の餌食になるというケースもある。ゼロゼロ物件被害は大きく報道され、社会問題と位置付けられたために、ゼロゼロ物件業者がターゲットとしていたフリーターらからは忌避されるようになった。しかし、東日本大震災や福島原発事故の避難需要で儲けているという悲しい現実がある。貧困ビジネスのターゲットは被災者にも向かっている。

遠くから福島原発周辺の住民に「逃げろ、逃げろ」と呼びかけることには意味がある。呼びかけることしかできない人が呼びかけることは、その人にできることをする点で意味がある。中には放射能の害悪を楽観的に考えることで福島にとどまる住民もいる。人間には「大したことはない」と思いたい被害過小評価心理が働く(広瀬弘忠『人はなぜ逃げおくれるのか』)。彼らに放射能の害や除染の無意味さをアピールすることは意味がある。

一方で放射能の害は熟知しているが、避難のための経済的な後押しを求めている人がいることがいることも事実である。避難を呼びかけるだけでは、葛藤を抱えている彼らの助けとしては弱い。避難の権利を社会権的に保障することは実効的な対策になる。

最後に社会運動において人権をベースとすることは、自己責任論などの切り捨て論に対する論理的な強みを発揮する。これについてはマンション建設運動に関して論じた(林田力「マンション建設反対運動は人権論で再構築を」PJニュース2011年6月17日)。




土地への愛着は避難より除染の理由にならない


福島第一原発事故で拡散された放射能汚染への対処をめぐって避難を重視する立場と除染を重視する立場で激しい論争が繰り広げられている。ここでは除染を重視する立場を除染派、避難を重視する立場を避難派と呼ぶ。除染派の根拠として「土地への愛着」が挙げられるが、これは理由にならない。

第一に「土地への愛着」の実態を検証する必要がある。放射能汚染によって避難すべき福島原発周辺地域住民に土地への愛着が強いか否かは社会学的な実証がなされた訳ではなく、直感や個人的体験で語られる傾向がある。震災前に福島県内の村が過疎で悩まされていなかったか、若者が仙台や関東地方に流出する傾向がなかったのかという点が問題になる。何もなければ出稼ぎに出るような住民が原発事故を境に愛郷心に目覚めることは奇妙である。愛着ではなく、コミュニティーによる束縛ではないかとの指摘もある。

第二に福島原発周辺地域住民に土地への愛着が強いという分析がなされたとしても、それは放射能汚染下でも福島原発周辺地域を離れない人々の動機を説明するものに過ぎない。この種の傾向があるとしても、除染か避難かという政策の結論を決定付けるものにはならない。そこから「避難ではなく、除染を」という政策論を導き出すならば現状追認である。土地への愛着のために離れられないという事実があるならば、それが価値あることか、意味あることかを検討しなければならない。

これは国民の半数以上が軍備を必要とし、日本国憲法第9条を改正すべきと考えているとしても、改憲を支持することにならないことと同じである。当然のことながら、呪文のように護憲、護憲と唱えることが正しい対策ではない。国民の多くが非武装であることに安全保障上の不安を覚えているという実態があるならば、その不安を払拭することが求められる。たとえば軍隊を廃止して平和を実現しているコスタリカの事例を紹介するなど取り組みなどは有益である。

避難についても住民が自発的に避難しない理由があるならば、それを解消する方策を考えることになる。それが避難の権利の発想である。国が避難しようとする人々の生活を積極的に保障することを求めるものである。避難の権利は多数の人々が福島第一原発周辺地域にとどまっているという現実を踏まえたものである。福島の放射能汚染は強制移住させるレベルとの見解さえある中で、土地に留まりたいという人々にも配慮した概念が避難の権利である。避難派は避難の権利という概念を提示することで、福島の現実に対応している。

第三に福島原発周辺地域に土地への愛着という共同体意識があって、それが避難しない動機になっているならば一層、「避難の権利」を保障する必要が高くなる。何故ならば土地への愛着は社会学的な分析であって、個々人のレベルに還元すれば「避難したい」という少数意見も存在するためである。

コミュニティーとして土地への愛着が強ければ強いほど避難を希望する少数者が意見を言うことは難しくなる。誰もが避難の権利を有しており、その行使を妨げないようにすることが大切になる。避難を呼びかける主張は福島の現実を無視した空論ではなく、現実を踏まえた人権保障の試みである。

最後に除染派の中にある奇妙な人権感覚を指摘する。除染派は避難派が避難の権利という独善的な天賦人権論に固執していると非難する。しかし、避難派への批判として人権が持ち出されることには違和感がある。その投稿姿勢が繰り返し辛辣に批判された人物がいる。その批判には学ぶべき内容が数多く含まれていた。ところが、被批判者は批判から学ぶどころか、批判者の問題意識に正面から答えようともしなかった。

むしろ批判の中にある揶揄や嘲笑的な表現を取り出して、批判者の人権感覚を激しく糾弾した。この批判者と被批判者の論争は周囲からタオルを投げられるほど不毛なものになったが、その要因は相手の問題意識に応えずに相手の発言の問題点だけを指摘する被批判者側に多くを負っている。被批判者のように相手の発言の特定部分をクローズアップして人権を理由に糾弾する方が絶対不可侵の天賦人権論の錯覚である。

このような姿勢は悪徳不動産業者と共通するものである。自社の悪徳商法は棚に上げ、消費者の姿勢の問題に責任転嫁する。それ故に東急不動産だまし売り裁判原告として悪徳不動産業者と闘ってきた立場として、管見は被批判者側に否定的な印象を抱く。

第一に東急リバブル迷惑隣人事件についてである。東急リバブルは物件の仲介に際して迷惑隣人の存在を説明せず、説明義務違反で大阪高裁から損害賠償を命じられた。この判決は東急不動産だまし売り裁判提訴の直前に言い渡されたもので、東急不動産だまし売り裁判に際しても東急の不誠実な体質を示すものとして提示された。

これに対して東急リバブルの住宅営業本部事業推進部契約管理課課長は2004年12月12日、林田力に東急リバブルの説明義務違反を棚に上げ、「買主は隣人をビデオカメラで撮影するようなことをしていた」と主張した。論点は東急リバブルが仲介時に説明義務を果たしたか、である。買主が購入後に何をしようと、その前の仲介時に東急リバブルが果たす説明義務には影響がない。事実かどうかも分からない顧客である筈の買主の行動を非難することは筋違いである。

第二にゼロゼロ物件業者が東京都から宅建業法違反で業務停止処分を受けた事件がある。それを伝えたブログ記事には「借り主の実態も検証して下さい」と賃借人にも問題があるかのように誘導するコメントが執拗に描き込まれた(住まいの貧困に取り組むネットワーク ブログ「シンエイエステートとグリーンウッドに対して東京都が行政処分」)。

http://housingpoor.blog53.fc2.com/blog-entry-106.html




脱原発国民投票への人権論からの反対論


脱原発国民投票には多くの人が多くの観点から反対論を展開している。林田力は人権論の観点から反対論を追加する。原発を民主主義で決めるのではなく、人権保障と両立しないために否定すべきである。国民投票は民主主義の一手法である。脱原発国民投票は国民の多数が原発を容認したならば原発を認めることを意味する。しかし、人権の問題は民主主義で決めるものではない。

福島原発事故前から分かっていたことであるが、原発事故が起きれば地域全体が喪失し、生活の基盤が消滅してしまうことが福島原発事故で明らかになった。原発事故が絶対に防げるものではないことも明らかになった。事故が起きる危険のある原発が存在する限り、広大な周辺地域の人々の人権は危険にさらされる。原発は人権保障と両立しない故に、どれだけ原発推進派が存在しようとも否定される。


上田清司埼玉県知事は東京電力を罵るよりも不買運動を


埼玉県の上田清司知事は福島第一原発事故を起こした東京電力を厳しい言葉で罵って注目を集めている。しかし、本気で東京電力を問題と考えているならば罵るよりも不買運動という実効的な対策を採用すべきである。

上田知事は2月13日の記者会見で「これだけ満天下に迷惑をかけて誰ひとり警察のご厄介にもなっていない。自首するやつはいないのかと言いたい」と厳しく非難した。15日にも「人類史上最大に迷惑をかけた企業という自覚が欠けている」と非難する。これらの発言は市民の不満を代弁した声として喝采を浴びているが、具体的な問題解決には結びつかない。知事としてできることを行わずに東京電力を罵るだけでは脱原発のガス抜き、目くらましにしかならない。

上田知事にできる実効的な対策は不買運動である。上田知事が東京電力を警察の厄介になるような問題企業と考えているならば、東京電力からは電力を購入せず、1円も払わないことである。購入者がいなければ企業は成り立たない。

本来ならば脱原発を唱える消費者が率先して不買運動を進めるべきであるが、残念なことに現代の日本では一般消費者は電力会社を選択できない。しかし、自治体のような大口需要家は電力自由化によって電力会社を選択することができる。

実は埼玉県では2005年から電力を入札で調達しており、電力調達の先進自治体である。この点では上田知事は口だけではない。しかし、日本の電力自由化は発送電の分離が不完全なもので、送電網を掌握する地域独占会社が競争上有利な地位にあり、入札しても東京電力が落札するケースもある。東京電力を不当な企業と考えるならば一歩進んで契約しないことである。

電気料金の値上げもあり、自治体の入札による電力調達は広がっている。脱原発を掲げた保坂展人氏が区長に当選した世田谷区では2012年度から111施設を対象に競争入札を始める予定である。入札によって電気料金を2千万円程度節約できる見込みとする。現時点では入札による電力調達の目的はコスト削減となっているが、一歩進めてグリーン調達の考え方を踏まえれば脱原発の立場から原発推進企業から電力を購入しないという政策も成立する。(林田力)


経産省前テントひろば開設から間もなく半年


「Occupy Wall Street」の掛け声と共に世界中に広がった抗議運動。日本でも2011年9月11日に東京都千代田区霞が関の経済産業省前に「経産省前テントひろば」が登場し、メンバーが交代で寝泊まりしながら現在も脱原発を訴えている。東日本震災の半年後に開設された「テント広場」も間もなく半年を迎える。林田力は2月14日に「テントひろば」を訪問し、話を聞いた。

「テントひろば」は経済産業省の玄関脇のオープンスペースに設置されている。敷地は国有地であるが、通行の邪魔になる道路でも業務の妨げになる経済産業省の構内でもないという絶妙の地点である。「テントひろば」の内外には「子どもを放射能から守れ」など様々なメッセージや旗が並び、藤波心や制服向上委員会ら脱原発を鮮明にした芸能人のものもある。

外側ではギターを手に歌を歌う参加者もおり、にぎやかな雰囲気である。林田の訪問時にはフランスのメディアも取材していた。日中は勤労世代が少なく、高齢者が中心であるが、中学生も訪れており、多彩である。この点について参加者の一人は「現代日本では乏しくなった世代間交流ができる空間」と語った。

女性の存在感が大きい点も特徴である。2011年10月には「原発いらない福島の女たち」の座り込みが行われた。12月1日からは「未来を孕む女たちのとつきとおかのテントひろば行動」が続いている。「とつきとおか」は10ヶ月10日のことで、胎児が母体にいる期間を象徴する。男性の参加者も女性の存在が「青筋立ててバリケードを築いて籠城するような運動とは雰囲気を変えている」と評価する。

原発全廃を掲げ、当面は再稼働阻止を目標にする「テントひろば」であるが、関心は広い。元々は護憲・平和の市民運動家が大きな役割を果たしている。「テントひろば」では日米安保反対や憲法第9条会見阻止、イラク戦争批判のビラも配布された。

福島県いわき市に高齢の知人がいるという参加者は「自主避難をせずに住み続けている、または一時避難から戻った人々も福島が放射能汚染で住めない地域になっていると認識している。そのような住民意識をマスメディアは報道しない。逆に報道は住民が復興に向けて頑張っているという視点ばかり」と語る。この状況に「15年戦争中の大本営発表と同じ」と反戦平和運動と共通する問題意識を見出していた。

また、江東区による竪川河川敷公園での野宿者強制排除に抗議するビラも配布された。公有地であるという理由で平穏に生活していた野宿者の小屋を強制撤去する江東区に抗議する運動と、公有地にテントを設置して原発推進政策に抗議する運動は重なる。林田も自身の経験した東急不動産だまし売り裁判など東急グループの問題を話したところ、参加者から「様々な問題はつながっている」との反応があった。

「テントひろば」は撤去を求める行政だけでなく、右翼からの攻撃にも晒されている。この日も街宣右翼から攻撃されたばかりという。「テントを河川敷に持って行け」など口汚く罵られた。一方で伝統的な街宣右翼よりも新興のネット右翼を問題視する声が上がった。「彼らの多くは非正規雇用の労働者で、格差社会の犠牲者である。本来ならばフリーターの労働組合などで一緒に闘ってもいいのに、『在日外国人が生活保護で不労所得を得ていることがけしからん』と攻撃の矛先をマイノリティに向けている。天皇制に対する意識など右翼としての思想は貧弱」と語っていた。


社会


東急不動産だまし売り裁判と同じ卑劣


東急リバブル東急不動産が不利益事実を隠して新築マンションをだまし売りした東急不動産だまし売り裁判と共通する卑劣さを感じたケースがあった。同席して話し合わせて、虫の良い和解を演出させようという算段を感じた。相手の主張を理解しようとせず、自己の過去の言動を改めも反省もせず、一方的な要求だけを押し付けようとする態度が透けて見える。

メールなど言葉でのやり取りでは論破されており、説得できないことは自覚しているのだろう。故に「会って話そう」となる。会話ならば都合が悪くなれば話題を変えて流してしまえるからである。

しかも、卑怯かつ卑劣な点ことに本人から面会を求めようとしないことである。第三者を使って会うように仕向けようとする。それが失敗すると、自分から面会を申し入れる。これは順番が逆である。しかも、自分から申し入れる際も「第三者から勧められたから」と卑怯な言い訳を重ねる。

そのようにすることで、「会ってやっているんだ。ありがたく思え」というスタンスで臨むことができると勘違いしている。それによって自己の優位性を保とうという皮算用である。これは東急不動産だまし売り裁判における東急リバブル東急不動産の手口である。東急不動産だまし売り被害者としては悪徳不動産業者と重なる卑劣な手口は絶対に容認できないものである。巨悪と闘うために連帯ではなく、その種の卑劣さが巨悪に連なるものだからである。




新自由主義への対抗


「自由主義だ、自己責任だといいながら、政府の保護をめいっぱい受けて、ぬくぬくと肥え太った連中」という表現がありました。これは新自由主義の正体や欺瞞を示す的確な表現です。その典型が小泉構造改革の目玉である郵政民営化に伴う「かんぽの宿」疑惑でした。

「かんぽの宿」疑惑は国民の財産というべき郵政関連施設が不透明な経緯で驚くべき安値で業者に売却された問題です。たとえば東急リバブルは1000円で取得した沖縄東風平レクセンターを4900万円で転売しました。

率直に申し上げると純粋な理論としてはケインズ経済学よりも新古典派経済学に魅力を感じていました。日本の公務員の相次ぐ不祥事を出すまでもなく、政府を動かしているのも欲を持った個々の人間に過ぎないためです。政府の役割を過度に大きくするならば、それだけ腐敗と非効率の危険を大きくすることになります(林田力「『G8サミット体制とはなにか』格差を拡大させるサミット体制」)。国家権力の危険性を重視する立場こそ、本当の意味での小さな政府を支持するという論理も十分に成り立ちます。

http://hayariki.net/poli/politics.html

また、官民格差は現代日本における大きな不合理であり、解消しなければならない課題です。新自由主義者の進めるような公務員改革を支持するものではありません。それは格差を拡大させるものだからです(林田力「民事法務労働組合がワーキングプアを生む市場化テストに抗議行動」)。

http://www.pjnews.net/news/794/20111110_3

しかし、官民格差の問題提起自体は正当であり、現状維持を是としてよいものではありません。特に目立った産業のない地方は深刻です。この点から竹原信一・前阿久根市長の過激な公務員批判も理解できます。このような問題意識がなければ公務員改革反対が支持を広げることはできません。これが橋下旋風を許した一因にもなりました。

新自由主義にも理論的根拠と支持される土壌があります。ところが、郵政民営化の一番の受益者は民営化の過程で生じる利権を獲得した業者達であした。新自由主義は政府への依存を批判するが、実際の推進者達は政府を食い物にして利益を得ています。その欺瞞を明白にしたものが「かんぽの宿」疑惑でした(林田力「民主党新政権は「かんぽの宿」疑惑徹底解明を」)。

http://hayariki.net/poli/kanpo.html

新自由主義の正体や欺瞞を浮き彫りにすることが、新自由主義への対抗になります。




ラブレター記事の人権感覚


かつてラブレター記事というものが投稿された。この記事には投稿者の人権感覚を強く疑わせる内容が含まれている。残念なことにラブレター記事の問題性は問われずに流されてしまった。福島第一原発事故の放射能汚染への対応策として除染と避難の何れを重視するかで大きな議論がなされているが、一方の論者の特異性を認識する上でラブレター記事の問題を掘り起こす価値はある。

ラブレター記事は投稿者が高く評価する記事を書いた新聞記者を応援する趣旨である。それが果たして優れた記事であるかは別問題である。国民の期待を背負った鳩山由紀夫新首相(当時)への批判的な記事を評価している。それが革新政党への票を奪う危険がある民主党を貶めようという類の政治というものに対する根底的な認識不足が為せる業ではないか注意する必要がある。

しかし、優れたと考える記事を書いた記者を応援すること自体は結構なことである。市民よりも政府や企業の方を向きがちなマスメディアの中で市民派の目線で記事を書く記者を応援することは、国民目線を忘れがちな政権与党の中で国民生活を第一にしようと奮闘する議員を応援することと同じように価値がある。

問題は男性の投稿者が女性記者に送るラブレターという表題になっていることである。ファンレターならば理解できるが、ラブレター(恋文)と表現する動機は理解に苦しむ。記事本文を読めば投稿者に嫌らしい意図はないと好意的に解釈することは不可能ではない。それならば尚更、ラブレターという表現を使う必然性は存在しない。相手の立場からすれば迷惑であり、気持ち悪い。相手が異性だからラブレターにするというならば、ジェンダーに囚われたものになる。

しかも、ラブレターの受け手にはトランスジェンダーの方もいる。自己を女性と規定する人に男性がラブレターを書いて何が悪いかとの反論も考えられるが、興味本位的な性愛の話題に引き寄せられて考えられることがトランスジェンダーの方々にとって最も不愉快なことではないか。あまりに不用意で場違いな印象を与えるラブレターという表現を使う人物が一方では人権や平等に問題意識が高く、他者の人権意識を批判していることに純粋に驚きを覚える。

このラブレター記事に対しては投稿直後に問題提起がなされたが、投稿者本人からも周囲からも反応はなく流されてしまった。理由が書かれていなかったために問題提起者の意図は分からないが、私は上記のような問題を認識した。

但し、当時は投稿者の形式論理の矛盾に関心を持っていた。差別表現について他者には発言者の主観的な意図ではなく、発言の社会的効果で評価すべきと説教する人物が、自己の発言は親しみを込めたもので差別意図はないと正当化する二重基準である。そのために内容に踏み込んで人権感覚を批判することは遠慮した。

その後も投稿者の背理は続いた。論理性を期待することが無意味に感じるほどである。

・ある点では共産党を支持し、ある点では社民党を支持することを市民の立場で肯定しながら、ある点では民主党を支持する立場を認めない。

・福島からの避難を勧める主張を共感が得られないと批判する一方で、避難を強調して除染に否定的な立場を批判することは共感が得られなくても価値があると主張する。

・革新勢力や市民派からの新党設立を社民党や共産党の票の食い合いになると否定する一方で、「票の食い合い」という発想を政治意識として問題と批判する。

投稿者の投稿姿勢については周囲からも批判され、繰り返し大きな論争になった。批判意見には投稿者を揶揄・嘲笑する不真面目な雰囲気があったことは否めない。「不真面目な批判はけしからん」は一つの考えではある。しかし、その原因の一端には人権論を深める可能性があったラブレター記事への問題提起が流されたことにあったのではないかと自戒を込めて指摘する。


「橋下人形と新自由主義の大実験」に賛同


ゆりひなな「橋下人形と新自由主義の大実験」『軒づけ日記』に賛同する。この記事は記事の第一文であり、転載先ブログのタイトルにも使われた「橋下さんは、ほんまに『独裁者』なんかな〜?」でも知られている。

橋下徹・大阪市長は独裁者と批判され、ハシズムという造語まで生まれている。これに対して『軒づけ日記』では橋下市長の問題点の本質を新自由主義と分析する。その上で独裁を批判することはハシズムの本質を見誤らせると警告する。この視点は貴重である。私も東京都知事選挙の後に、東京都知事選挙直後に石原東京都知事の勝因を類似の分析を行った(林田力「反石原慎太郎の多義性と曖昧性」)。

『軒づけ日記』は独裁批判では本質的な批判にならず、ハシズムの本質は新自由主義と分析する。この主張を展開するために独裁と新自由主義を対比的に扱っているが、独裁の害悪を否定している訳ではない。「橋下さんのやろうとしてることが、『独裁』ではなく、その逆の『完全自己責任化』による『責任放棄』」「人形橋下さんを操る財界の目的は、『独裁』ではない」との表現もあるが、究極の目的は独裁ではなく、独裁は新自由主義の手段と主張しているに過ぎない。

実際問題として、新自由主義と独裁は相性がいい。現実に新自由主義の政治家は揃いも揃ってタカ派であり、発展途上国で進められたグローバリゼーションは独裁的な強権そのものである。新自由主義者の語る小さな政府は警察権力の小さな政府では決してない。公務員の腐敗を目の前にすると純粋な理論としての新自由主義経済政策には魅力を感じるが、政策としての新自由主義の実態は宣伝する価値がある。

ここからは独裁批判が新自由主義批判にもなる、それ故に独裁批判の大合唱に加わるべきという考えも成り立つ。それでもハシズムに対して独裁批判よりも新自由主義批判という『軒づけ日記』の主張は正当である。何故ならば独裁を批判する側が自らの独裁的体質に無自覚であるためである。

一般に独裁者とのレッテルは権力者に対して付けられる。権力のない独裁者は白い黒猫のような論理矛盾になる。しかし、権力を持たなくても独裁者的体質が感じられるケースはある。たとえばメーリングリストにおいて自分のことを棚に上げ、俺がルールと言わんばかりに審判になりたがり、他人の表現を批判するような人物を目にしたならば、何ら権力を持っていなくても独裁者的体質を感じてしまう。辞書的な意味を厳密に追及すれば、それは独善であって独裁とは異なるが、問題は一般的なイメージである。

この種の独裁者的体質は残念なことに石原都知事や橋下市長を批判する側にも存在する。むしろ大多数の市民は石原都知事や橋下市長を批判する政治勢力側に独裁者的体質を感じている現実がある。そのような人々が声高に独裁を批判したところで、まさに「独裁?はぁ〜?何言うてんの。」となってしまう。反対に新自由主義の政治家にとっては独裁者のレッテルが貼られることで無機的な市場原理主義者のイメージを回避でき、イメージアップになるというメリットさえある。


光市母子殺害事件


弁護士のアンフェアが断罪された光市母子殺害事件最高裁判決


1999年に山口県光市で起きた母子殺害事件について、最高裁判所は2012年2月20日、元少年の上告を退ける判決を言い渡した。元少年の死刑が確定する。

この問題が大きく注目を集めた要因は被害者遺族の本村洋氏に負うところが大きい。私自身、民事訴訟であるが、マンションの売買契約をめぐって東急不動産と裁判闘争をした経験がある(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。

引渡しが終わった不動産取引では契約の白紙撤回が認められることは難しいと指摘されたが、泣き寝入りしなかった。消費者契約法に基づく契約取消しを貫き通し、売買代金の全額返還を勝ち取ることができた。新たな先例に踏み出させることの大変さを実感しているため、本村氏の活動には感服する(林田力「オーマイニュース炎上史(4)光市事件中編」PJニュース2010年8月15日)。

判決では事件の社会的影響や遺族の被害感情を死刑是認の要素として判断している。裁判上の争いは裁判内で展開すべきという考えがある。林田力は二子玉川ライズ差し止め訴訟の証人尋問をネットニュースで報道した。これに対して東急電鉄・東急不動産らで構成される二子玉川再開発組合は上記のように主張した(林田力『二子玉川ライズ反対運動』マイブックル、34頁)。

二子玉川再開発組合のような考えは、自分達の都合の悪い事実を広められたくない事業者に都合の良いものに過ぎない。裁判外を含めた本村氏の活動が判決をもたらした。裁判は裁判の中だけで進行するものではない。社会に広げていくことも重要である。

本村氏とは対照的に醜悪さを露呈したものは被告の弁護団である。殺意を否定し、「ドラえもんが何とかしてくれると思った」と主張する弁護団の主張は常識外れの悪あがきにしか聞こえない。弁護団の目的が死刑廃止であれ、被告人の減刑であれ、その目的のために何でも主張していいというものではない。弁護士の主張はフェアなものでなければならない。それ故に判決が被告の不合理な弁解を死刑判断の一因としたことは正当である。

弁護士がフェアでなければならないことは以下の規程が定めるとおりである。

弁護士法第1条(弁護士の使命)「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。」

弁護士職務基本規程第5条(信義誠実)「弁護士は、真実を尊重し、信義に従い、誠実かつ公正に職務を行うものとする。」

弁護士倫理規定第7条(真実の発見)「弁護士は、勝敗にとらわれて真実の発見をゆるがせにしてはならない。」

光市事件刑事裁判の弁護団主張は社会的な関心がある中でなされたために大きく批判されたが、残念ながら裁判で弁護士が依頼人に有利になるようにデタラメな主張をすることは珍しくない。東急不動産だまし売り裁判でも虚偽証拠や偽証が登場した。

光市母子殺害事件のルポタージュ『福田君を殺して何になる 光市母子殺害事件の陥穽』の出版差し止めなどを求めた仮処分では弁護士の作文との疑いの濃いワープロ打ちの陳述書が提出され、手書きの陳述書が再提出されたことがあった(林田力「『福田君を殺して何になる』仮処分事件での陳述書の信憑性」)。

弁護士法人アヴァンセ・リーガルグループ(金崎浩之代表)のように「弁護士は公平中立な立場ではありません」を理念として掲げ、自らフェアであることを放棄する弁護士事務所まで現れている。今や弁護士は自ら公正中立な立場から職務を遂行する専門職として高い評価を受けるに値しない存在と自ら宣言している状態である。

日本の裁判では弁護士の嘘の付き得になっている。弁護士を利用する側からは弁護士の能力に厳しい意見が出されている。その中で不合理な弁解を問題視して判決は弁護士のトンデモ主張にペナルティを課す点で高く評価できる。この論理が犯罪者の厳罰化のためだけに使われるのではなく、消費者訴訟における企業や行政訴訟での行政にも向けられることを期待する。


被害者・遺族の権利


被害者・遺族の権利は難しい問題です。これについては相反する評価を下すことができます。まず肯定的評価です。これまで被害者や遺族は刑事司法から疎外されていました。被害者・遺族の権利を保障することは、警察や検察の恣意性や秘密性に風穴を開けることにもなります。

ここで被害者と遺族を分けるかが問題になりますが、私は被害者と遺族を厳格に区別すべきかについては疑問があります。愛する人を亡くした遺族の痛みは社会として十分に考慮すべきと考えます。逆に被害者本人であっても「目には目を」的なストレートな復讐を肯定してよいかは別に議論すべき問題です。

復讐とは別に痛みを受けた人が加害者を批判し、社会的に発言し、司法を含む様々な制度を利用することは肯定できます。日本社会には私憤を出発点に正義を追及することに否定的な風潮がありますが、正義を追及する側ばかり過度な倫理性を要求することは二重基準です。私自身も社会性を深める契機は東急不動産だまし売り裁判でした。

次に否定的評価です。被害者・遺族の権利は厳罰化とセットで主張される傾向があります。厳罰化という政策達成の道具として利用されています。この点では司法への市民参加という肯定できる建前が掲げられた裁判員制度と共通します。光市母子殺害事件被害者遺族の本村洋氏も過去の発言に比べると、最近はトーンダウンしています。自分が意図していない方向に利用されることへの戸惑いがあるのではないかとも推測します。


死刑廃止論と権力犯罪の追及


死刑廃止は理想としては支持できます。権力犯罪を追及すべきという点にも賛成です。しかし、それを光市母子殺害事件の文脈で主張することには疑問があります。光市母子殺害事件に対する私のスタンスは昔から以下の通りです。

「私は硬直的な司法制度と戦い続けた本村洋氏を尊敬する。私自身、民事訴訟であるが、マンションの売買契約をめぐって東急不動産と裁判闘争をした経験がある(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。

引渡しが終わった不動産取引では契約の白紙撤回が認められることは難しいと指摘されたが、泣き寝入りしなかった。消費者契約法に基づく契約取消しを貫き通し、売買代金の全額返還を勝ち取ることができた。新たな先例に踏み出させることの大変さを実感しているため、本村氏の活動には感服する。」(林田力「オーマイニュース炎上史(4)光市事件中編」PJニュース2010年8月15日)

オルタナティブの世界では普通に酷い問題が逆に問題とされずにスルーされてしまうことがあります。今はヒステリックにハシズム批判の大合唱です。ハシズムを擁護するつもりはありませんが、官民格差への怒りなど支持される理由を直視しなければ、既得権を守るための批判に映ってしまいます。普通に酷いものを酷いと言う感覚は持ち続けたいものです。東急不動産だまし売り裁判も「マンションだまし売りは酷い」という感覚が出発点でした。

死刑廃止論からは「いかなる残虐非道な犯罪者であろうとも国家が死刑を科すことは許されない。故に元少年も死刑にすべきではない」という結論になります。犯罪者憎しで世論が沸騰する中で上記の議論を展開するならば、その勇気を認めます。しかし、光市母子殺害事件の弁護団は異なりました。「殺意はなかった」などの不合理な主張を展開することによって死刑を免れようとしました。

現在の判例の枠組みでは死刑が合法であることは固まっています。それ故に弁護団が死刑の非人道性や違憲性を格調高く論じたところで、勝てる見込みは限りなく低いものです。それ故に法廷戦術として殺意を否認したのでしょうが、遺族感情や世論を無視した独り善がりな主張でした。嘘のつき得になっている日本の裁判において、最高裁判所が主張の不合理を理由の一つに認めたことは支持できます。

弁護団の反社会性は散々批判されていることですので、もう一つの視点を追加します。弁護団の所業は裁判闘争に真面目に取り組む市民をも嘲笑するものです。現在の枠組みでは可能性は限りなく小さいことを知りながらも日本国憲法の可能性を信じて闘っている市民がいます。現行の法律や判例の枠組みでは否定されていても、日本国憲法上の幸福追求権や平和的生存権などの人権を拠り所として、日本国憲法の実質的な適用を求めて闘っている市民は大勢います。

たとえば東急電鉄・東急不動産主体の再開発・二子玉川ライズの差し止めを求める裁判が最高裁判所に係属中です。ここでも憲法第13条の生命・自由・幸福追求権や第25条の生存権を基礎とする良好な環境の下に生活し続ける権利、環境権、まちづくり参画権を拠り所にして判決の見直しを求めています(林田力「二子玉川ライズ反対運動が学習決起集会開催=東京・世田谷」PJニュース2011年5月9日)。

http://www.pjnews.net/news/794/20110508_4

マスメディアは権力犯罪を大いに追及すべきという点は賛成しますが、やはり光市事件と比較する文脈で述べるものではありません。被害者遺族を目の前にして「犯罪者を憎むよりも東京電力を憎め」とは言えません。

また、権力犯罪という言葉にも難しいものがあります。小沢一郎氏の政治と金の疑惑を延々と追及するジャーナリズムも当人達にとっては権力犯罪を追及しているつもりです。戦後日本で最も有名な権力犯罪の追及は田中金脈問題ですが、これも今の小沢氏と同じく対米従属派による田中角栄追い落としの一環という見方もあります。

ベースとなる社会観が備わっていない状態で、単純に権力犯罪にシフトさせるだけでは、かえって危険な結果になる可能性もあります。その点では『東急不動産だまし売り裁判』著者としては消費者問題など身近な企業犯罪にも目を向けて、生活者の視点を養ってほしいと考えています。

実名報道については、マスメディアというものは制約がなければ実名で報道したがるものです。権力の陰謀以前の問題として、5W1Hを明確にするように訓練されています。


弁護団の不合理な主張


光市事件弁護団が「殺意はなかった」などの不合理な主張を展開することによって死刑を免れようとしたことは、その主張を行った時から各所で批判されたものです。この問題について関心があって調べられるような方ならば、弁護団への批判意見も賛否は別として押さえておかなければ不自然です。今更改めて説明を求められる意図が理解できません。

弁護団の主張は荒唐無稽であると激しくバッシングされました。批判後に心理学的見地や元少年の生い立ちなどの情報を総動員して擁護する意見も出されていますが、その種の理屈の後付けも不合理性を一層浮かび上がらせるものです。

私は東急不動産だまし売り裁判において、被告・東急不動産から「窓は採光を目的としていない」「北側の窓が塞がれても日照被害がない」「隣地が建て替えられてきれいになった方がマンションの資産価値が上がる」などの不合理かつ被害者感情を逆なでする主張を繰り返されました(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社)。この経験があるために光市事件の被告人の主張にも問題意識を持っています。

実際のところ、裁判でのトンデモ主張は行政や企業にも見られるもので、裁判そのものが嘘のつき得という嘆かわしい状況にあります。光市事件の弁護団の主張ばかりが取り上げられて批判されるならばバランスを失していますが、それは不合理な主張を無視してよいことにはなりません。

光市事件最高裁判決の流れには被害者遺族の怒りとは別に、その怒りを利用した厳罰化という政策目的が見え隠れします。私は厳罰化を支持しません。最高裁判決が被告人の不合理な弁解を死刑判断の一因としたことは救いです。これは犯罪への厳罰ではなく、裁判上の不合理な主張への厳罰という論理になるからです。厳罰化に反対だから光市事件弁護団支持は短絡的であり、厳罰化を許さないためにも光市事件弁護団の不合理な主張を批判します。


女性天皇


女性天皇・女性宮家と男女同権


賛否両論ある女性天皇(女系天皇)・女性宮家。男女同権を推進する立場から検討する。結論を先に言えば男女同権論者として女性天皇や女性宮家を支持することも反対することも成り立つ。

まず賛成論である。表面的には女性天皇・女性宮家は男女同権と親和性がある。男性皇族に限定されていたものを女性皇族にも認めるものであり、両性の平等に資する。看護師のように特定の性のみの職種が別の性にも認められることは男女同権の流れである。

女性天皇・女性宮家反対論の拠り所は伝統であるが、これは理由にならない。まず現代においては天皇制の拠り所は日本国憲法である。過去の天皇制がどのようなものであれ、現代の天皇制は日本国憲法の定める「両性の本質的平等」に即して制度設計されなければならない。

反対論は男系にしか遺伝しない「Y染色体」という生物学的な要素まで持ち出すが、これも理由にならない。伝統的な天皇制は男系でも女系でもなく、両系であった。皇后は皇族に限られ、父親だけでなく、母親の身分も重視された。皇后が人臣である藤原氏から出されることが常態化することで既に天皇家の伝統は崩壊している。

また、「Y染色体」が根拠ならば全国に広がる源氏や平氏など全ての皇室に連なる男系の子孫は皇位を主張できることになる。「Y染色体」論は皇室の伝統を守る立場から出ているが、むしろ皇室を相対化し、その神聖性を希薄化することになる。「Y染色体」論を登場させた点で女性天皇論の功績になる。

次に反対論である。第一に女性天皇・女性宮家が真の男女同権になるかという問題がある。単に女性が天皇に即位し、宮家を開設できるだけでは男女同権には不十分である。男性天皇と女性天皇、男性宮家と女性宮家の区別がなくなって初めて男女同権と呼べる。この点で歴史上存在した女性天皇は男女同権からの女性天皇論の根拠にはならない。

現実問題として女性天皇・女性宮家を認める場合には法律の改正が必要で、その場合に女性天皇・女性宮家ならではの条項が定められることが予想される。女性天皇・女性宮家を認めることで、かえって男女の差異を際立たせる危険性も高い。それが男女同権に資するか、女性差別を拡大するか議論が分かれるところである。

第二に法の下の平等の矛盾拡大である。世襲制の天皇・皇族は日本国憲法の定めた法の下の平等の例外である。よって可能な限り、限定に解釈することが法の下の平等からの要請である。女性皇族が婚姻によって皇族から抜けることは、法の下の平等の範囲を広げる意味では望ましい。反対に天皇や宮家という法の下の平等に反する地位に就ける人を拡大することは、法の下の平等との矛盾を拡大する。

たとえば女性天皇を認めるとして、親王と内親王がいた場合に皇位継承順序をどうするかという問題がある。もし親王に優先順位があり、親王がいない場合だけ、内親王が即位できるとなれば男女差別である。親王・内親王に関わらず、年齢順で継承できるとすれば男女は同権であるが、兄または姉と弟または妹の間で年齢による差別になる。結局のところ、天皇制自体が差別の根源であり、取り繕うとしても別の観点で矛盾が生じてしまう。

女性天皇・女性宮家の議論では純粋な理念としての男女同権だけでなく、現実政治における主張者の動機も分析する必要がある。賛成論は皇位継承者や皇族の減少という現実に直面して天皇制を延命させるために提示された。男女同権という理念から提示されたものではなく、男女同権論者が熱くなる話ではない。

皇位継承者や皇族が途絶えてしまうならば、法の下の平等を実現する上で望ましい結果になる。日本国憲法の最大の矛盾が天皇制であり、その矛盾を抱えた日本国憲法を護る護憲運動に終始していることが日本の市民運動の限界であり、弱点であった(林田力「中井洽の非礼発言と天皇制の対立軸化(下)」PJニュース 2010年12月5日)。皇室が自然に途絶えるならば憲法改正を経ずして天皇制を解消できる。

女性天皇・女性宮家の熱烈な反対論にも思惑が見え隠れする。敗戦によって皇族から離脱した旧宮家の子孫が、あわよくば皇族に復帰しようという思惑である。結局のところ、明仁一家と遠い親戚との間のお家騒動という側面がある。この視点に立つならば皇太子夫妻への人格攻撃も理解しやすくなる。女性天皇・女性宮家を否定した上で天皇制を存続させようとするならば旧宮家の子孫の皇族復帰は現実的な選択肢になる。

旧宮家の皇族離脱は皇室なりの戦争責任の果たし方であった。本来は昭和天皇(裕仁)が退位すべきであった。承久の乱のように敗戦による退位は珍しくない。それが天皇制を存続する道であった。昭和天皇が留まったことは天皇制の伝統からも特異であった。それは戦争責任の追及が不十分になっている大きな要因である。旧宮家の皇族復帰までも認めるならば戦後改革を否定する逆コースを象徴することになる。

故に「旧宮家の皇族復帰を阻止するためにも女性天皇・女性宮家を認めるべき」との主張は一つの現実論である。「皇族が途絶えて自然消滅させることが法の下の平等を達成する」は楽観論である。現実に途絶える事態になれば、旧宮家を皇族復帰させて天皇制を延命させようとする公算が高い。それならば女性天皇・女性宮家を認めた方がいいという考えも成り立つ。

一方で旧宮家を皇族復帰させた方が天皇制の矛盾を明らかにできるとの考えもある。現状では天皇制は国民に広く支持されているが、それは現在の天皇・皇族の人間性に負うところが大きい。現在の内親王が天皇や宮家設立するならば国民の支持は得られやすい。

残念ながら天皇制と差別についての国民の問題意識は低いものの、それまで馴染みのなかった人物が、祖先が天皇というだけで皇族となることを支持するほどには国民は幼稚ではない。旧皇族の皇族復帰は世襲に基づく天皇制の不合理を白日の下に晒すことになる。それ故に天皇制に批判的な立場からも、むしろ旧宮家の皇族復帰を歓迎する心理も働く。

以上の通り、女性天皇・女性宮家は男女同権論者が必死に推進するほどの価値はない。世界的には「女性兵士が男性兵士と同じように従軍し、人殺しをすることが男女同権」というフェミニズムもある。しかし、男女同権以外の矛盾や人権侵害を放置して男女の平等だけを目指すことが正しいフェミニズムの姿勢ではない。女性天皇・女性宮家賛成論も独善的なフェミニズムに陥る危険がある。

一方で男女同権の立場から女性天皇・女性宮家を賛成することがシャローということにはならない。まだまだ日本は男女同権の後進国である。一端の市民運動家を気取る人物でさえ、面識のない大人の女性を自分の娘ぐらいの年代だからという理由で「ちゃん」付けで呼ぶことを正当化するレベルである(林田力「若年層右傾化の背景と限界」)。フェミニズムの独善を懸念するほどの水準に至っていない。

http://www.hayariki.net/poli/zainichi.html

そして女性天皇・女性宮家は天皇制への問題提起になっている。天皇制の延命が動機であるとしても、天皇制の強固な信奉者からは猛反発を受けている。これによって市民感覚と乖離した天皇制の反動性が明らかになる。天皇制の枠内で男女平等を追求しても別の箇所で矛盾が拡大する。これは真実であるが、現行の天皇制の男女不平等を指摘しなくていいということにはならず、問題提起には意義がある。


女性天皇・女性宮家と歴史ロマン


女性天皇・女性宮家の議論では表面的には男女同権重視の進歩派と伝統重視の保守派の対立の構図が描かれる。しかし、実際は複雑である。人権重視の立場でも法の下の平等と矛盾する天皇制に批判的な立場から、天皇制の延命を狙う女性天皇・女性宮家への反対論が導き出される。

反対に歴史重視の立場が反対論一色に染まることはない。過去の歴史を振り返れば女帝が存在した。女性宮家は稀であるが、女院は存在し、朝廷内で強固な勢力を有していた。八条女院が有名である。古代の女帝も院政期の女院も危機の時代の産物であって、基本的に天皇制には男性中心の伝統があることは否定しない。それ故に例外的な女帝などを認めないことが正統的な伝統重視の立場という発想は誤りではない。

しかし、例外的であるとはいえ、むしろ例外的だからこそ、危機の時代の女帝や女院が歴史上の存在感があることは事実である。反対論者の説く伝統は明治天皇制を理想とするものであり、実は底が浅いものである。もし現代に女帝や女宮が登場したら、歴史ファンは歴史ロマンを感じ、ワクワクするだろう。韓国では現代を舞台にしながら皇室が存在する設定で、普通の学生だった主人公が皇太子妃や皇女になるドラマ(『宮 -クン- Love in Palace』『マイ・プリンセス』)が大ヒットした。

女性天皇や女性宮家が登場したならば戦前的価値観の信奉者は別として、皇室への支持は広がる可能性が高い。それ故に天皇制に否定的な進歩派からも女性天皇・女性宮家に反対する動機が生まれる。


フランス政府のマドモアゼル廃止を歓迎


フランス語は未婚女性の敬称をマドモアゼル、既婚女性の敬称をマダムと言うが、フランス政府はマドモアゼルを廃止し、マダムに統一すると2012年2月21日に決定した。行政文書を対象とするが、民間企業にも呼びかける。男性は未婚・既婚に関わらず、ムッシューで統一されているが、これまで女性は未婚と既婚で区別されていた。平等の立場からマドモアゼル廃止を歓迎する。

英語でも未婚女性はミス、既婚女性はミセスと分かれていたが、差別ということで既婚・未婚関わらず、ミズが政治的に正しい表現として定着している。フランス政府の対応は「今更」の感がある。実際に英語でコミュニケーションする場合、ミズでないと非常に不便である。未婚か既婚か分からず、そもそもコミュニケーションの性質上、未婚か既婚かは全く問題ならない場合も多い。ミスかミセスかとなると間違えたならば失礼であり、無駄なところで気を遣ってしまう。

マドモアゼル廃止は女性団体が求めていたものであり、それに対しては伝統の破壊、言葉狩りなどの反発も予想される。日本でもマドモアゼル廃止のニュースに対して言葉の豊かさが失われるとの反発がなされた。この種の反発は意外にも進歩的な立場からも共感される。中には昭和30年代の少年時代に観たフランス映画でマドモアゼルという言葉にトキメキを覚えたとし、それが同年代の男性の共通感覚でないかという意見まである。

しかし、今回の決定は行政文書からマドモアゼルをなくし、企業でも同様にするように呼びかけるだけである。未婚者と既婚者を区別する必要がないところで、区別する表現を廃止するだけであり、言葉が失われると騒ぐような話ではない。たとえば日本では「父兄」という言葉を問題視する意見が強いが、公立学校が保護者向けの配布物に「父兄の皆様へ」と書くことを止めることと同次元の話である。

マドモアゼルという言葉にトキメキを覚えるという意見も問題外である。少年時代に観た数十年前の映画でしか仏語を語らないような人物が、どのような意見を言ったとしても、フランスの現実とは乖離した主張である。現場の視点に欠けた意見に過ぎない。 私にとってマドモアゼルはミスと同じく、ありふれた言葉でトキメキは感じられない。一方で私にとってフランス語以上に馴染みの薄いドイツ語の未婚女性を意味するフロイラインという響きに美しさを感じる。それ故にマドモアゼルという表現にトキメキを感じる人がいることは想像可能であるが、特定世代の共通する感性として押し付ける考えはいただけない。全共闘世代など自分達の世代的価値観を押し付ける体質が、社会意識ある若年層を右傾化させてしまう要因になっている(林田力「若年層右傾化の背景と限界(下)」PJニュース2010年10月18日)。

http://www.pjnews.net/news/794/20101014_9

「ミス」「ミセス」や「マダム」「マドモアゼル」が差別になる理由は女性だけ未婚と既婚で分けられるためである。このためにマドモアゼル廃止を惜しむ立場からは男性も未婚と既婚で敬称を分ければ差別にならないとの発想が生じるかもしれない。しかし、これは未婚者と既婚者の区別を残存・増大させてしまう。

英語にミズが登場し、フランス語がマダムで一本化されたとしても、敬称の悩みは終わらない。相手が男性であるか女性であるかで敬称を使い分けなければならないためである。この点で「さん」で統一する日本語は中立的である。日本は男女平等の後進国であるが、それは主として近代に作られたものであり、日本語には平等を実現する豊かな可能性がある。