煮え湯を飲まされている。
「始球式」というやつに。
1度や2度ではなく、何度も何度も。
本来、私は別段野球が好きというわけではないので、
試合前に行われるお約束行事・始球式と関わりを持つことなど無い筈なのである。
ところが、その興味対象外の存在である「始球式」が
新聞やネットに掲載されるや私の興味を惹く対象に早変わりするのだ。
例えばネット上では、こんな見出しが躍っている。
「〇〇、ノーバン始球式」
私は、我を忘れ反射的にクリックしてしまう。人差し指が骨折せんばかりの勢いで。
だがクリックした先にあるのは、〇〇がノーバウンドでの投球に成功したよという内容で
私が期待したことは全くなかったことが記されている。
私は腫れ上がった人差し指をフーフーしながら、部屋中をのた打ち回る。
こんな経験を何度もしているのだ。
私は、ゆるせないと思うと同時に不安になってしまう。
このままでは、「右手人差し指だけが異常に発達した人」になってしまうのではないか、と。
何とかならないのだろうか。
決して食事代を安くあげたいからではなく、
純粋に好きだという理由で牛丼屋を利用することが多い。
この手の店には食券制を導入しているところもあるが、これはこれは結構な話である。
まず何よりも、オーダーミスがなくなる。
もちろん、レジ作業に必要なリソースをそのまま調理等に注げるという作業効率面でのメリットも見逃せないだろう。
一方で、食券制を導入しない店もある。
たとえば、吉野家である。
なぜ吉野家が食券を導入せず後払いにしているかというと、
後払いだと店を出るお客に「ありがとうございました」と店員が必ず挨拶できるから、だという。
これはこれは結構なことである。
私は、食事を済ませた際は「ごちそうさま」というのが客側の最低限のマナーであると思っているが、同時に「ありがとうございました」という返しを期待してしまってもいる。
この期待に吉野家は100%応えてくれるのだ。
食券制の店の場合、店員がこちらに気づかないことがあり、
その場合「ごちそうさま」の声だけが空しく店内に響くという気恥ずかしいことになってしまう。
と、食券ひとつをとっても企業の努力や文化が透けて見え、
のほほんとアホ面下げてかっこんでいただけの自分は感心してしまうのであるが、
そんな私でも一言申し上げたい店がある。
それは、牛丼屋ではない。
食券制を導入している立ち食いそば屋だ。
私は、立ち食いそば屋も牛丼屋と同様に
食事代を安くあげたいからではなく純粋に好きだという理由で利用しているのだが、
どうしても腑に落ちないところがあるのだ。
「あー、今日はたぬきそば食おう」と思い食券を購入したとする。
立ち食いそば屋と書いているが大半の店がそばだけでなくうどんも扱っていて、
食券はそばとうどんで共用になっているのだ。
この場合なら「たぬき そば・うどん」というように記載されている。
その結果。
「うどん、そば、どっち?」と店員に訊かれることになり
そばかうどんかを口頭で告げることになる。
これでは、食券制の最大のメリットであるオーダーミスをなくすという面で不安が生じてしまう。
当然、食券導入店のマイナス点である退店時の「『ありがとうございました』抜き」のリスクは変わらない。
何でこんなことになるんだ。
うどんとそばで食券を別にすれば済む話じゃないか。
ひところ賞味期限に関する偽装工作等が発覚し世間を賑わせていたが、
私には何でこの賞味期限問題が取り上げられないのかともどかしく思っているものがある。
そもそも賞味期限とは、記載の期間内であれば美味しく、つまり安全に召し上がれますよという約束であり、私達消費者にとっては大変ありがたい、いや、なくてはならない制度である。
もとより慎重な性分である私は賞味期限の厳守を生涯のマニフェストに掲げており、
食品を口にする際は賞味期限を入念にチェックするようにしている
(6と9を勘違いすることだって見る角度によって十分起こり得るのだ)。
曲がりなりにも私がこれまでやってこれたのは、このマニフェストに全精力を傾けてきたからだとさえ思っている。
で、何の賞味期限が問題かというと……
それは、「めんつゆ」である。
「めんつゆ」の賞味期限を確認すると、まあ大体購入日の1年から2年先の年月が指定されている。
ならば何も案ずることはないねというところなのだが、注意しなければならないのは、「ただし開栓前に限る」という旨の文言が併せて記載されていることである。
つまり、開栓していないのであれば指定の年月までの品質保持を約束するが、
開けてしまったら、その約束を無効とさせていただく、ということである。
そんな馬鹿な、とは思わない。
品質保持のためには密閉状態でなければならないことを何となく分かっているからだ。
だが、私の唯一の拠り所である賞味期限が無効化されてしまったのは事実。
この不安は拭って欲しい。
そう、新たな賞味期限が必要なのだ。
パッケージには、こう記されている。
「開栓後はお早めにお召し上がりください」
「お早めに」?
私は、パニックに陥ってしまう。
「お早めに」では、それが一体どれくらいの期間を指しているのかが全く分からない。
1日なのか、3日なのか、1週間なのか、1ヶ月なのか、それ以上なのか。
マニフェストの危機。エマージェンシーである。
もうダメだ。
開栓した後の私は「お早めに」のせいで、「めんつゆ」が気になって仕方がない。
今日のご飯は何にしようかと思っても、不安になってくる。
ひょっとしたら今まさに賞味期限が切れようとしているのではないか、と。
結果、「あー、今日はうどんを食べたい気分だな」と思っても、
スーパーで「めんつゆ」を目にした瞬間、上記のようなことが頭に浮かび、購入を断念。なかなかうどんが食べられない。
開栓後の賞味期限は、もっと具体的にならないのだろうか。
何卒よろしくお願い申し上げます。
どんなに科学が進歩しても、
魚肉ソーセージは剥きにくいままなのだろうか。
以前、後輩数人と居酒屋に行ったときのこと。
当時の私は手羽先の旨さに完全にやられており、
その日も他のつまみにはほとんど目もくれず手羽先ばかりを貪り食っていた。
酒を飲み、手羽先を食い、先輩風を吹かせてウザイ人生論を語る。
後輩にとっては苦痛でしかない、当人にとっては気持ちよい時間はあっという間に過ぎてラストオーダーとなった。
もちろんここは手羽先を注文だ。
それは決まっている。問題は量である。
私はもう1人前は間違いなくイケる、だが2人前となると怪しいと思い、他に食べる者を募った。
誰も手を挙げず「もう要らないです」「お腹いっぱいです」の声。
仕方がない。2人前頼んで残すのは心苦しいので、1人前だけ注文した。
ややあって手羽先1人前が運ばれてきた。
これが今日最後の手羽先なのだ。そう思うと私は粛然とした気持ちになっていた。
すると。
食べない、と言っていた後輩が手羽先に手を伸ばしている。
なぜっ? なぜっ? 満腹だと言ってたじゃないか。
「それは、私の手羽先だ!」
「今日という日のフィナーレを飾る大事な手羽先なんだ!」
と言いたかったが何とか思いとどまった。
もし言ったら「この人は何て器が小さいんだ」「頭がおかしいんじゃないか」と蔑まれるのは必定。面目丸つぶれである。
それだけは何としても避けねばならぬ。
私は震える身体を悟られぬよう誤魔化し、つくり笑いでその場をやり過ごしたのだった。
結局、ラストオーダーは0.5人前程しか食えず。
人知れず被害者のような感覚に襲われながら帰宅。嗚呼。