マツダのスポーツカーRX-8の広告。
何もない一本道に佇むヒッチハイカーが掲げているのは
「SAN DIEGO」と行き先が書かれた超巨大なボード(ダンボール?)。
何としてもRX-8に乗せてってもらいたいと思った男は、
RX-8で疾駆するドライバーでも目に留まるようなボードを用意した、と。
特定の車種の広告なのに、広告中にその姿はない。
だが、わかる。
知りたくなる。
製品の魅力は直接語るのではなく、
見ている人に発見してもらえるように(したくなるように)しよう。
初詣に行き、おみくじを引いた。
「凶」だった。
でも、それが笑いになった。
悪くないんじゃね、と思った。

The Pogues - Fairytale Of New York
オランダの洗車場「XXL CARWASH」の広告。
洋服の洗濯タグを模したチラシ(裏を返すと50%OFFの割引券になっている)が、車に挟まれている。
「洗車=車の洗濯」という身も蓋もない事実(気づき)を広告に昇華させた面白見事なクリエイティブ。
いいですねえ。
この広告は掲出場所として個人の車が使われているようだが、これは気をつける必要があると思う。
というのは、広告が対個人というカタチをとったとき、
広告を渡すということ自体が大きな意味を持ってくるのだ、受け手にとっては。
なぜなら、広告が「私」を認識した上でのメッセージになってくるからだ。
例えば「顔のたるみが気になる方へ」というコピーの入ったエステのチラシを街頭配布するとして。
配布する側としては無駄打ちを避けたいので最低限度の選別をして渡すだろう。何の悪意もなく。
だが、渡された人は思う。
あなたは私の顔がたるんでいると判断したのね。だから私にチラシを渡したのね、と。
この洗車場の広告では、そんな心配は無用だと思うが、
対個人の広告には危険が潜んでいるということは忘れないようにしたい。
いい本とは、いいキッカケになる本のこと。
いいこと書いてあるなあ、で終わるのではなく。