NIKEの広告。

ここらで一発ベンチにでも座ったろかしら、と思って目をやると有ろうことか座板がない。
で、背板部分にはナイキのロゴと「RUN」の文字。
うーむ。
オランダの旅行代理店「D-reizen」の広告。
この広告は
道路が雨に濡れるとメッセージが現れる(乾くと消える)という仕掛けになっているのだが、
これは道行く人が「雨にうんざりな気分」になったら現れる、ということでもある。
その時どんな気分かで反応は変わる。
「(伝える時の)相手の気分は?」を忘れないようにしよう。
オランダの洗車場「XXL CARWASH」の広告。
洋服の洗濯タグを模したチラシ(裏を返すと50%OFFの割引券になっている)が、車に挟まれている。
「洗車=車の洗濯」という身も蓋もない事実(気づき)を広告に昇華させた面白見事なクリエイティブ。
いいですねえ。
この広告は掲出場所として個人の車が使われているようだが、これは気をつける必要があると思う。
というのは、広告が対個人というカタチをとったとき、
広告を渡すということ自体が大きな意味を持ってくるのだ、受け手にとっては。
なぜなら、広告が「私」を認識した上でのメッセージになってくるからだ。
例えば「顔のたるみが気になる方へ」というコピーの入ったエステのチラシを街頭配布するとして。
配布する側としては無駄打ちを避けたいので最低限度の選別をして渡すだろう。何の悪意もなく。
だが、渡された人は思う。
あなたは私の顔がたるんでいると判断したのね。だから私にチラシを渡したのね、と。
この洗車場の広告では、そんな心配は無用だと思うが、
対個人の広告には危険が潜んでいるということは忘れないようにしたい。
通気口から吹き上がる風を見つけたら、マリリン・モンロー。
これは、中学生の発想だ。
だが、それがいい。
(異性への興味が芽生えてしまったがために)
面白いことやカッコつけることに初めて必死になるのが中学時代なのだ。
「面白い」の原点は中学時代にあるのだ。
アイデアに困った時は(自分の中の)中学生に訊いてみよう。