「好き」恐怖症

数年前のこと。
当時、缶コーヒーをよく飲んでいた私は
ここは一発自己主張を、と思い「コーヒーが好きだ」と言ってみた。

聞かされた方は即座に私のことを
「コーヒーというものに一家言ある、豆やカップ等に独自のこだわりがある人」
という風に認識したようだ。
ほーほー言いながら「じゃあ、どんなのが好みなのだ?」と問うてきた。
私は勘違いされているなと半ば気づきながらも
缶コーヒー以外は殆ど飲んでなかったので調子を合わせることもできず
正直に「最近は微糖タイプが多いかなあ」と答えた。

その瞬間、空気が変わった。
はあ? 缶コーヒー!? だったら好きなんて言うな。
訊いて損した。この時間を返せ。
という憤怒がビシビシと伝わってきて、
まるで自分が悪事を犯したかのような感じになってしまったのだった。

私は思った。
「好き」という言葉は危険だ、と。
だから、迂闊に「好き」といってはいけない。
「何が好きなんですか?」とか「趣味は何ですか?」と訊いてくる奴には要注意だ、と。

それからというもの、たとえ心底興味のあることであっても、
「うーん好きではないなあ、というか好きなものはないなあ」というスタンスをとることで自己を防衛をしていた。
すると。

「何が楽しくて生きているのか」
「可哀想な人だ」
「人として最低」
とのレッテルをはられて。嗚呼。


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